【if/許嫁ルート】
皇帝の許嫁
(前)
 ──真田弦一郎には、許嫁がいる。

 それは、立海大附属中学では有名な話だった。
 本人が常に吹聴して回っているわけではないが、例えばこの年頃の青少年としてはよくある「彼女はいるか」「好きな子はいるか」という話になると、彼は決まって、

「結婚を約束している者がいる」

 と、真顔──、しかも微かにご満悦そうな、今どき風に言えばどや顔で答えるのだ。
 中学ジュニアテニス界では、幸村精市とともに頂点と言っても過言ではないレベルのトップクラスの選手である彼なのでそれなりに異性にもモテるのだが、告白の断り文句もまた、「申し訳ないが、俺は結婚する相手を決めているので」と一貫している。

 そんな風な真田弦一郎に対し、周りの反応はといえば、懐疑と困惑、というのが正直なところであった。

 言うまでもないことだが、この現代日本で、この年齢から婚約者がいるというのは、珍しいというより、いっそありえないと言っていい。旧家の某といった由来がある家ならまだわからなくもないが、真田家は確かに古くはあっても、剣道道場を経営する一般家庭で、やんごとなき家柄の血族、というわけではない。

 そのため、疑問符を浮かべて困惑するのが半分、婚約者など本当にいるのか、と疑っているのが半分、というのが周りの反応である。

 真田弦一郎は平成生まれというのが信じられない程時代錯誤な考え方の持ち主であり、また、ストイックすぎる真面目さを誰もが疑わない人物である。草食系でも肉食系でもない、堅物の岩系男子という例えが、この上なくぴったりだ。
 だからこそ、あの時代錯誤っぷりと絶対に嘘などつかない性格からして、許嫁──、婚約者、というより、真田弦一郎にはこの名称のほうがどこまでも似合う、という意見には、誰もが同意した──、がいるのはあり得るし似合う、と思っている者と、あの堅物ぶりからして、色恋沙汰の話題に加わりたくないために、その場をやり過ごすための方便ではないか、と思うものとがいるわけである。
 弦一郎の真面目過ぎる性格と、それに伴う天然ぶりを知っている輩などは、もしかして妄想なんじゃないのか、と、若干以上の悪意のある口を叩くこともある。

 件の相手が実際に弦一郎のそばにいればそんな疑惑も起こらないのだが、相手の娘は京都に住んでいる、という。
 小学生の時は年に一度会うことしか出来ず、中学生になったので自由に会ってもいい許可が出たそうだが、神奈川と京都ともなれば交通費もばかにならないので、そうそう気軽に会えるわけでもない、というのが本人の説明である。

 そのため、許嫁だという娘を見たことがある者は、いない。
 弦一郎の幼なじみであり、同じテニス部である幸村精市は本人らが出会ったのと同じ頃から面識があり、また、これもまた同じテニス部の柳蓮二は姉の関係で縁ができてつい最近会ったことがあるらしいが、前者はうんざりした顔で、後者は涼し気な、しかしどこかにやにやとした表情ではぐらかし語ろうとしないため、結局何もわからない。

 だが、彼らが中学二年生の、夏。
 その幻の“許嫁”の正体が、ついに明らかになったのだった。






 ──全国大会、優勝、立海大付属!

 張りのあるアナウンスが響き、ワッ、と会場が沸く。
 立海大付属は、準決勝では大阪・四天宝寺を、そしていまの決勝戦では、兵庫・牧ノ藤学院をどちらも最後の試合までも回ることなく下し、全国大会優勝をおさめた。
 牧ノ藤の応援席は消沈ムードであるが、二年連続、しかも今年は対戦相手のホーム会場にて優勝した立海大付属側の歓声は、凄まじいものであった。

 その歓声に応えるべく、選手たちが観客席に手を振る中、結果的に最後の試合となったS2を戦った弦一郎もまた、控えめに手を振った。
 しかし、様々な方向に手を振り、観客席全体に答えている他の面々と違い、彼はある一定方向にのみ向かって、大きく手を上げていた。ブンブンと振り回すわけでもない。ただ、ここにいる、と示すような様子だった。
 しかもその表情はといえば、控えめながらも、笑顔である。試合後の高揚があるにしても、彼としては非常に珍しいことであった。

「何じゃ、珍しい。誰に手ェ振っとんじゃ、真田」

 ブン太らとともに、ふざけて投げキッスまでしていた雅治が、目敏く言った。
「ん、ああ。応援に来てくれていたのでな」
「家族か?」
「まあ、そのようなものだ」
 さらりと答えているようだが、弦一郎のその、胸を張る様子──どうにもご満悦気味などや顔に、雅治は少し怪訝な顔をした。家族に対するにしては妙な様子だ、と思ったのだろう。確かに、弦一郎のどや顔には、どこかにやけるような色が混じっていた。

「なに真田、ちゃんに手ェ振ってたの?」
 うんざりした顔でそう言ったのは、精市である。彼はS1を戦う予定だったものの、そこまで行かずに優勝が決まってしまったので、嬉しい事ではあれど不完全燃焼な部分があるのだろう。他の面々より、ややテンションが低い。
 だがそれを差し引いても、精市の表情はうんざりとしたような様子で、ジト目で弦一郎を見遣っていた。

「なんかボーっとしたり張り切ったりしてると思ったら、そういうことか。普段は人にたるんどるたるんどる言っといて、自分はそれかよ」
「応援に応えることの、何がたるんどるか。しかも自分の許嫁に」
「……おい、今なんつった」
「あーはいはい、ごちそうさまごちそうさま」
 真顔で弦一郎の発言に突っ込んだ雅治をスルーして、精市は虫でも追い払うような仕草で、ひらひらと手を振った。
 雅治はしばらくその様子を呆然と見ていたが、やがて、狐に似た切れ長の目をカッと見開く。

「……参謀! さーんぼーう!!」
「そんなに大声を出さずとも聞こえる」
 スタッフを呼ぶような様子で声を上げた雅治に、すぐそこにいた蓮二が、相変わらず目が開いているのか開いていないのかわからない、菩薩像のような表情ですっと振り返った。涼やかな声が、歓声の隙間を縫うようにして不思議に耳に届く。

「なあ、いま真田が“自分の許嫁”つった気がするんじゃが」
「言ったな」
「……言ったか」
「言った。何だ、有名な話だろう。弦一郎に許嫁がいるのは」
「そら……、まあ、有名じゃけど。え、マジにおったんか」
「お前は、弦一郎がそういう冗談を言うような男だと思っていたのか?」
「思っとらんけど!」
 思っとらんけど信じられんじゃろうが! と、雅治は声を上げた。

「え、なに、真田の許嫁!? 噂の!? どこどこどこ、どれよ」
「マジでいたのか……。で、どの子だ?」
「ほう、真田君の。どちらにいらっしゃるんです?」
「あれマジだったんスか!? え!? マジで!? どこ!? どこッスか!!」

 いつのまにか話を聞いていたらしい、ブン太、ジャッカル、比呂士、そして控えとしてベンチにいた赤也が一斉に身を乗り出し、見てわかるはずもないだろうに、観客席をきょろきょろと見回し始める。

「貴様ら……疑っておったのか!?」
 心外だ、というふうに弦一郎が険しい表情になるが、どこか怒りきれていないのは、優勝という慶事のせいだろうか、それとも他の要因であろうか。
「そりゃ、ニワカには信じられねえだろぃ。で、どこよ」
「あそこだ。中央通路手前二列目、和服の女性の二人組で、右側、薄水色のほう」
 ブン太の問いに答えたのは弦一郎でなく、蓮二であった。そして彼の指し示す方向を、全員が一斉に見る。

 蓮二の言う通り、立海側の席の中央通路手前二列目に、和服の女性の二人連れがいる。周りが立海のジャージや制服ばかりなので、よく目立ってわかりやすかった。
「あれが? マジで?」
「ちなみに、もう一人は俺の姉だ。弦一郎、手を振ってやれ」
 蓮二に言われた弦一郎は、改めて言われると照れくさいのと騒がれたのとで、微妙な表情になった。しかし疑わしげなチームメイトらを見返す気持ちでもって胸を張り、ふんと鼻を鳴らすと、高く手を上げる。
 すると、蓮二の姉だという女性が、はしゃいだようにもう一人の肩を叩く。あなたに手を振ってるわよ、ねえ、といわんばかりの、わかりやすいリアクションである。

「おー! 手ェ振ったぞ!」
「確かに、こちらに振っておられますねえ」
「振っとるのう」
「マジだった!」
「ガチだった!」

 小さく、上品に。しかし薄水色の袖をはたはたと揺らしてこちらへ手を振る少女に、一同が沸いた。



「許嫁の、紅梅だ」
紅梅どす。お初にお目にかかりおすえ、よろしゅうお頼申しますぅ」

 コートから離れ、裏手の控室。
 いつの間にか携帯電話で姉の蓮華と連絡をとっていた蓮二の手引で、一同が簡易シャワールームで汗を流して身だしなみを整えた頃、件の人物がやってきていた。
 許嫁を紹介する弦一郎は、きりっとした顔を作ろうとしているが、どや顔が抑えきれずに大失敗していた。精市だけが、その様を馬鹿を見る目で見ている。
 だが、他の一同は、噂にばかりは聞けど誰も見たことのなかった、もはや幻の存在に興味津々で、驚くほど美しく頭を下げた和服の少女を、一斉に凝視していた。

「うおー! 京都弁! 初めて聞いた!」
 赤也が、若干興奮して言う。紅梅が菩薩像のごとき微笑みを浮かべて「へぇ?」と首を傾げると、赤也もまた、「へえ?」と首を傾げた。
「へぇ、というのは、はい、と同じような意味だ。おの使うのは京都弁というより、京ことば、だな。一般的に用いられる京都弁より遥かに古い。今となっては古語に近いもので、舞妓や芸妓、京都の老舗の関係者ぐらいしか使わない」
「ははあ、それは風情ある。……はて、そういう言葉遣いをなさるということは……」
 比呂士が言うと、蓮二は頷いた。

「ああ、おは舞妓見習いだ」

 えええええ、と、また一同が沸く。
「え、真田先輩のカノジョさん、舞妓さん!? マジで! すげー!」
 じろじろと紅梅を見回しながら、赤也がまた大声を上げる。お前は、と弦一郎が窘めようとするが、紅梅は微笑んだまま、まだ同じくらいか、わずかに低いくらいの背丈の赤也と目を合わせる。
「見習いどすけどなァ。……ええと、」
「あっ、俺、切原赤也っす! 一年! カノジョさん何歳っすか」
「うちは、二年生どす」
「副部長と同い年……」
 へえ〜、と言いつつ、ふと、全員が弦一郎と紅梅を見比べる。
「……何だ」
「や、結構違和感ねえもんだなって」
「どういう意味だ」
 弦一郎はぶすっとした顔をしたが、赤也の言いたいことは、全員がなんとなく察していた。
 弦一郎はその厳格な性格や男らしい顔つき、さらに恵まれた体格などもあって、もともと実年齢より上に見られがちだ。特にここ最近は、中学生などありえない、とか、二十代後半、いや三十代だろう、などとからかい半分で言われるほど──かなり良く言って大人っぽく、身も蓋もなく言えば老けている。部活の遠征先では、十中八九顧問かコーチと間違えられる有り様だ。
 そんな弦一郎と並べば誰もが年下に見えるのが常なのであるが、しかし、紅梅は彼のように実際より年かさに見えるというわけでもないのに、隣に並んで、しかも結婚する仲だと言われても、さほど違和感がない。
 風紀委員の活動で、スカートの短いクラスメイトを怒鳴りつける弦一郎といえばもう教師にしか見えず、とても同い年には見えないというのに。

「まあ、ちゃんはちょっと年齢不詳っぽいとこあるもんね」
「それ! それっすよ!」
 精市の言葉に、赤也が、何度も頷く。他の面々も、ああ確かに、と納得した様子だった。
 実年齢を知ると漏れ無く驚かれる弦一郎に対し、紅梅の実年齢を知っても、誰も驚かないだろう。そして、やや下の年齢でも驚かないし、二十代だと言われても、そうなのか、と思う。そういう雰囲気が、紅梅にはあった。和服をこれ以上なく熟れた様子で着こなしている、というのもあるかもしれない。
 そんな風に言う面々に、ぶすっとしていた弦一郎の表情が、目に見えて穏やかになった。散々老けているだの中学生に見えないだの言われ続けているのもあり、紅梅と並んで違和感がないという評価にご満悦の様子である。
 そして紅梅も、なにかコメントするわけではないが、嬉しそうににっこりとした。

「えーと、じゃあ、紅梅先輩? でいっすか?」
 お前名前呼びかよ、だって苗字紹介されてねえですし、と言い合う赤也たちに、紅梅は「構しまへんえ、名前のほうが呼ばれ慣れとぉし」と、何でもないように言った。
 その流れで、一人ずつ名前を名乗る。紅梅は弦一郎から聞いていたのと、応援に来るにあたってちゃんと名前を把握していたのとで、もう既に名前と顔の一致ができているようであった。

「赤也と、やぎゅはんと、におはんと、丸井はんと、ジャッカルはんどすなァ」

 京ことば独特の発音、さらに「はん」という接尾語をつけて呼ばれた一同、なんだか新鮮な気持ちになった。ちなみに、赤也は年下だということで、呼び捨てである。
 紅梅は男性を呼び捨てるのが初めて、というよりも男の後輩を持ったことが無いため、新鮮な気分であるらしい。珍しげに自分をジロジロ見回す赤也に嫌な顔もせず、赤也もテニス上手なんやてなあ、と穏やかに話しかけていた。
 赤也もそうしておっとり話されて悪い気はしないらしく、ああだこうだと答えている。これは懐くな、そうだね、と、蓮二と精市がぼそりとつぶやいた。

「なんか、あれだな。まさに真田の好みって感じ」
「あー、そうだな。これでもかってぐらいの和風美人」
 納得した、というふうに頷き合うのは、ブン太とジャッカルである。しかしそれには誰も異論がないらしく、他の面々も頷いている。
 弦一郎は「むっ」と唸りつつも反論はなく、少し照れくさそうな顰めっ面になった。紅梅はノーコメントだったが、薄い笑みがにこにこしたものになり、少し頬の赤みが増す。
 さきほど、並んでも違和感がないと──つまりお似合いだと言われた時もそうだが、いかにも相思相愛といったふうな様子に、普段の真田弦一郎を知る面々は、驚いた顔になった。

「そやそや、蓮ちゃんに言うたらええんかな。部長やし、せぇちゃんやろか」
「うん?」
「なに?」
「せぇちゃん!?」
「蓮ちゃんて、おい」
 未だかつて二人がそんなふうに呼ばれているのを聞いたことがない一同は、さらりとそう呼んだ紅梅、そしてそれを普通に受け止め返事をした蓮二と精市に驚いた。

「さっきから思っちょったんじゃが、柳と幸村とも仲ええんか?」
 仁王が尋ねた。
「俺は、真田がちゃんに会ったのと同じくらいの時に顔合わせてね。回数は少ないけど、ちょこちょこ会う機会もあったし、一応、幼なじみ、かな?」
「ほー」
「蓮二は割と最近……去年知り合ったはずだけど、付き合いが深いのは蓮二だね」
 精市が目線を向けると、蓮二は頷く。

「ああ、うちの姉が舞妓をしているのは知っていると思うが、その時、弦一郎経由でおに口を利いてもらってな。それ以来、家族ぐるみで付き合いを続けさせてもらっている。連休に京都に行ったりもするしな」
「あー、なるほどのう」
 雅治は、納得して頷いた。蓮二の姉が京都で舞妓をしていることについては、テニス部内だけでなく、立海全体で知る人ぞ知ることである。ちなみに名前は柳蓮華、舞妓として店出ししてからは、本名からとって、紅芙蓉、という名前を名乗っている。

「……ていうか、柳先輩と紅梅先輩、親戚じゃないんスか?」
「あ! それ、俺も思った!」
「え、違うのか? 似てるからてっきり親戚だと思ってた」
 赤也、ブン太、ジャッカルである。
 そして彼らの言い分を踏まえて、全員、一斉に二人を見る。話そうとしていたこともあり、並んだ立ち位置にいる二人は、確かに似ていた。
 純和風の薄い顔立ち、輪状に光を反射する、ストレートのさらさらの髪。そして何より、菩薩像のように常に薄く微笑んでいるような、柔和な表情。似ていると意識してみれば、ゆっくりと落ち着いた話し方も、共通しているような気がする。

「よく言われるが、血縁ではない」
「去年は蓮二の髪型がおかっぱだったので、今よりさらに似ていたぞ」
 弦一郎が補足すると、容易く想像がつくといった様相で、全員が、ああー、と声を出して頷いた。
「こっちの人らァもな、蓮ちゃんとうちがよぉ似とるもんやさかい、柳のおうちと親戚やて思うとるお人が多うてなあ」
「確かに、こうして並ぶと、親戚というか、兄妹に見えますね」
 比呂士が言った。
「そうどすの。そやし、時々蓮ちゃんのことふざけて蓮兄はんて呼んだりしとったらなァ、すっかり兄はんやと思われてしもて。“アンタお兄はんいてはったんやねえ”て時々言われるえ」
「最近は、もういちいち否定するのが面倒なレベルでな。もう放っておいている」
「そういうことするから誤解が進むんじゃないの」
「まあ、姉がおの“姐”となったので、俺を兄と呼んでもおかしくはないしな」
 精市のつっこみに、蓮二はにやりと笑いながら答えた。紅梅も、にこにこしている。どうも、当人らも面白がっているところがあるらしい、というのは、やはり似ているその笑みを見れば、誰にもすぐにわかった。

「……で、それはそうと、先ほどなにか話そうとしていなかったか」
「そや。芙蓉はん姐はんが言うて、瓢屋はんが乗ってくれはってな。良かったら、打ち上げに“瓢屋”のお座敷取ってくれはるて、どないする?」
「瓢屋の? それはまた、豪勢だな」
 蓮二は、目を見開いた。
 瓢屋というのは、紅梅のいる置屋『花さと』の近隣にある料亭だ。しかも、芸者遊びで使う茶屋でもあり、一見さんお断りの老舗である。どう考えても、テニスの試合の打ち上げで使うような店ではない。

「へぇ、うちらがずーと立海立海いうとるさかい、瓢屋はんも興味持ってくれてはってな? 応援してくれてはるんよ」
「ほう、ありがたいことだな」
「いいじゃん! 京都の高級料亭!」
 ブン太が、うきうきと言った。
 優勝という栄誉が得られてテンションが上がっているところ、“幻の真田弦一郎の許嫁”である紅梅に会うことでさらにテンションが上り、さらに本場の京料理が食べられると聞いて、ブン太の機嫌が更に良くなったようだ。
 だがそれはブン太に限ったことではなく、一同嬉しそうな表情だ。

「ふむ、ではお言葉に甘えようか。それで、料金は……」
 さすがのもので、すぐに現実的な話を切り出した蓮二に、紅梅が笑みを浮かべて頷く。
「優勝祝に、瓢屋はん、お座敷無料で空けてくれはるて。お料理も、お酒あらへんからなるべく安ぅしてくれはるみたいやけど、柳のお父はんらァがご祝儀出してくれはるて。そやから……」
 ちらり、と、紅梅が弦一郎を見上げた。
「ああ、わかった。うちにも連絡しよう」
「へぇ」
 皆まで言わずとも、しかも家同士のことを当たり前のようにやりとりする弦一郎と紅梅に、ああ本当に許嫁なのだな、と、皆が改めて納得した。

 弦一郎はテニスバッグから型の古い携帯電話を取り出すと、電話をかけ始めた。そして、話を聞いていた精市も、「そういうことならウチにも連絡するよ」と言い、同じように電話をかけはじめる。

「打ち上げはええけど、赤也はどうするんじゃ。留守番か?」
「ええ!?」
 雅治の指摘に、行く気まんまんだった赤也は、ショックを受けた顔をする。
「とりあえず、レギュラーだけになるか。優勝祝だしな」
「まあ、お高い店なら、しょうがなかか」
「そんなあ!」
「蓮二! 赤也!」
 赤也が絶望的な顔をするが、弦一郎が声を張り上げたので、呼ばれた蓮二だけでなく、雅治も首を動かし、彼の方を向く。
「赤也のお父上も、うちで中継を見ておられたそうでな。自分も出すと仰ってくださった」
「そうか。なら、赤也も行くか」
「行くッス! 親父サンキュー!」
 赤也が喜色満面で叫ぶと、楽しんでこいよー、と、弦一郎の携帯電話から声がした。

 そのやりとりに、では我々も連絡して出してもらったほうが、と比呂士が携帯電話を取り出す。
 しかし、柳家と真田家、そして幸村家と切原家の出資者らの意向で、あまり大勢からカンパを募るのも面倒だし、祝い事に対して懐が狭いということで、連絡だけ入れることになった。のちほど、保護者らの間で菓子折りや礼状が飛び交うことになるだろうが、それは大人の仕事である。

「話まとまってよろしおした。ほな、うちも用意あるし、先に戻るよって」
「うむ、わかった」
 弦一郎が頷くと、紅梅は全員に小さく頭を下げ、踵を返す。

「ほなね、またあとで。弦ちゃん」

 にっこりした笑みで紅梅が扉を閉めた瞬間、五人分の盛大な噴出、次いで爆笑が、狭い控室に響きわたった。
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BY 餡子郎
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