No.009/9月1日(4)
《──品物がない?》
「ああ。金庫の中には何一つ入ってなかった」
電話の向こうのクロロの確認に、ウボォーギンは端的に答えた。
フェイタンとフランクリン、そしてシロノ。この3人がシロノの食事も兼ねてオークション会場の客たちを一掃し、ウボォーギンとシャルナーク、マチ、ノブナガの四人のチームが、金庫を開けて品を盗む。そして気球に獲物を括り付けて屋上から脱出、というのが、今回の作戦、というか、作業手順だった。
しかし彼らが現在乗っている気球には、獲物は括り付けられていない。なぜなら巨大な金庫には競売品が何一つ残っておらず、もぬけの殻だったからだ。
金庫の近くにいた、唯一事情を知っていたオークショニアによると、一度金庫に入れた品を数時間前にまたどこかに移した、とのことだった。──まるで、予めこういった事態が起こることを知っていたかのように。
《ほお》
「あまりにタイミングが良すぎる。オレ達の中に背信者がいるぜ」
「いないよぉ、そんな人。うーん、ヒーちゃんならあるかもしれないけど」
気球にはしゃいでいるシロノが、口を挟んだ。すると「ヒソカか」「あり得るな」「あいつそろそろシメよう」「いよいよ殺る時がきたね」などと同意を示し始める。
《こらこら、皆ヒソカが嫌いだからって短絡的に考えるんじゃない》
「別にきらいじゃないよ。ヒーちゃんだったらやりそうだなって思っただけ」
あっけらかんと言うシロノに、マチが「アタシは嫌いだけどね」と呟き、それにまた皆が「俺も」「ワタシもね」などとまた同意を示した。まあまあまあ、とシャルナークが宥める。
電話の向こうで、《信用ないなァ♠》という声がした。
《まァ、シロノじゃないが……。いないよ、そんな奴は》
それにオレの考えじゃ、ユダは裏切り者じゃない、とどうでもいい意見を交えながら、クロロは続けた。
《ちなみにユダは銀三十枚でキリストを売ったとされてるが、オレ達の中の“裏切り者”は、いくらでオレ達をマフィアに売る? メリットを考えろ。マフィアに俺たちを売って、“そいつ”は何を得るんだ? 金か? 名誉か? 地位か? それで満足したと思えるような奴が、オレ達の中に本当にいるのか?》
「……さすがに、そんな奴はいねェな」
少しの逡巡の後、納得したという声色で返事をしたウボォーギンに、クロロはゆったりと《だろう?》と言った。
《それと、もう一つ解せない点がある。密告者がいたと仮定すると、あまりに対応が中途半端だ》
A級首の旅団が競売品を狙いに来る。そんな情報が本当に入っていれば、もう少し厳重に警備をするはずだ。しかしマフィアの対応は「妙なタレ込みがあったのでいつもより警戒するか」程度のものでしかない。その証拠に、客の方は何も知らされず、慣例通り丸腰で集まっている。
《そこでだ。オレの結論を言うと──、情報提供者はいるが、その内容は具体的ではない。にもかかわらず、それを信用している人物がマフィアンコミュニティーの上層部にいる》
「よく……わからねェな。どんな情報が誰から誰へ伝わってるかがよ。まあいい──、で、オレ達はどうすればいい?」
《競売品をどこに移したかは聞いたか?》
「ああ。だがオークショニアは死ぬまで“知らない”の一点張りだったぜ。フェイタンとシロノが体に聞いたから、まず本当だ」
そう言ってウボォーギンが、ちらりと、小柄な二人を見遣る。しかしフェイタンはまるで他人事のように「彼が今日一番気の毒なヒトだたね」と言い、シロノは我関せず、気球の鉄枠にぶら下がって「キャッホー! 高ーい!」とはしゃいでいた。
《移動場所を知ってる奴の情報は聞き出したんだろう》
「もちろんだ」
地下競売を仕切っているのは、マフィアンコミュニティーで六大陸十地区を縄張りにしている大組織の長たち、通称“十老頭”がその元締。十老頭はこの時期だけ一箇所に集まり、話し合いによって様々な指示を出す。
しかし、実際に動くのは十老頭自慢の実行部隊、“陰獣”。それぞれの長が、組織最強の武闘派を持ち寄って結成した部隊である。
《なるほど。──警備にそいつらが参加してなかったことから見ても、やはりオレたちの介入は知らなかったと考えていいだろう》
「そうだな……。言われりゃ、確かに警備は呆れるほどお粗末だった」
《──で、競売品の移動手段には何を使った?》
「それがよォ」
今日一番気の毒だった男によると、陰獣の構成員のひとりが、たったひとりでやってきたのだ、ということだった。二十五平方メートルくらいの金庫には、ギッシリとその日の競売品が置いてあったという。
しかし、陰獣のひとり──梟と名乗る大柄の男は、手ぶらで金庫に入って、手ぶらで出ていった。
「もちろん、金庫は空っぽ」
《シズクと同じタイプの念能力者か》
「おそらくな」
ふむ、と、クロロは紅茶で口元を湿らせた。お気に入りのカップにアケミが淹れてくれた紅茶は芳醇な香りがして、実に美味い。スモモのパイケーキとも合う。
《向こうも、五百人近い客が消えたことで気付いたはずだ。“敵は同じく念能力者”》
「戦っていいよな?」
《もちろんだ》
電話越しでもわかる、ウボォーギンの、好戦的で嗜虐性に溢れた声に、クロロはやはりゆったりと返した。
《追手相手に、適当に暴れてやれよ。そうすれば、陰獣の方から姿を現すさ。あとは、……もしできそうだったら、半殺しにしてシロノに食わせてやれ》
「あ〜〜〜〜、半殺しか〜〜〜〜〜。めんどくせーんだよな〜〜〜〜〜」
まあいい、ゲームだと思ってやるわ、と、ウボォーギンはばりばりと頭を掻くと、電話を切った。
「よーっし、シロノ! 美味いもん食わせてやるぞー! 陰獣だってよ! マフィアの子飼いならそこそこ強ェしそこそこ美味ぇだろ!」
「ホントー!?」
「おうおう、好き嫌いせずたくさん食って大きくなれよ」
「はーい! 目標、ウボー!」
「はっはっは、夢がデケェな。いいことだ」
気球の鉄枠から飛び移ってきたシロノを、ウボォーギンがキャッチする。それと同時にシャルナークが気球を操作し、八人を乗せた気球は、ダウンステート・ヨークシンに向かう荒野、ゴルドー砂漠の方に向かっていった。
「あっそうだ、お弁当作ってきたんだよ! ママと作ったの」
「おお、いいじゃねーか。仕事の前に腹ごしらえしよーぜ」
「ウボーの好きなカツサンドもあるよ。ノブ兄の魚のフライのやつはそっち」
「わかってるねえ」
「シロノ、お茶ちょうだい」
──わざとオーラを軽く燃やし、存在感を高めた気球に、全マフィアが一斉に気付く。数え切れないほどの強面たちがぞろぞろと蟻のようについてくるのを見下ろしながら、彼らは美味い弁当に舌鼓を打ちつつ、悠々と気球の旅を楽しんだ。
「ゴリラ対アリだな」
フランクリンが言ったそれに、皆が同意した。
崖の下では、数えるのも馬鹿馬鹿しいほど集まった黒服たちを、ウボォーギンがまさに文字通りちぎっては投げ、ちぎっては投げしている。投げられたマフィアはウボォーギンの後方にいるシロノの眼前に積み上げられ、そして積み上げられるごとにシロノがそのオーラを食べつくす。
「ど────だシロ! 腹一杯になりそーかー!?」
「んんん〜〜〜、ひとりひとりがショボいからまだまだ〜〜〜〜」
「おうそうか、じゃあどんどん行くからどんどん食え!!」
そう言って、ウボォーギンはまたひとりマフィアを殴り倒し、辛うじて生きている状態のそれをシロノの前に投げた。その作業は、まるでエビの背わたを取るとか、モヤシのヒゲをひとつひとつ取るとか、そういった手順と全く同じものである。
「わんこそばならぬ、わんこヤクザ?」
上手いこと言った、とシャルナークがどや顔をした。
「あんなオッサンどもばっかり食べて、腹壊さないのかね」
「まあ、あんまり美味そうじゃあねえよなあ」
そう言って崖下の光景を眺めるマチとノブナガに、無視されたシャルナークが「ちょっとはリアクションしてよ!」と口を尖らせる。
しかし、高い崖の上から見渡すと、地平線の見える荒野の向こうから、マフィアたちは車を全速力で飛ばして次々やってくる。「わざわざ食われにご苦労なこった」、と、やれやれと言わんばかりの様子でフランクリンが言った。
「ふん、これじゃ陰獣が現れるまでの準備運動にもなりゃしねえ──、つっ!」
──ギィン!! と、金属と金属がぶつかったような音。
「って〜〜〜〜〜、ライフルか?」
眉をひそめてそう言うウボォーギンの肌で跳ねて転がったものをシロノが見ると、確かにそれは、ひしゃげたライフル弾だった。
視力を強化して射線をたどると、男が二人、岩場の上に立っているのが辛うじて見える。この距離でヘッドショットを当てる腕はなかなかのものだが、しかし念を込めたわけでもない普通の狙撃であったため、ウボォーギンの“纏”に弾かれて終わったのだ。
「むかつく奴等だ、遠くからコソコソ人狙いやがって。──おいシロ、あいつらもういいよな?」
「うん、いいよ。いっぱいあるし」
「よっしゃ」
半死半生のマフィアたちのオーラを食べているシロノは、剥いてもらったみかんをコタツでのんびり食べているかのようだった。同じように、崖の上では、他のメンバーたちがトランプ遊びをして暇をつぶしている。
ウボォーギンはそこらの適当な石を拾うと、肩、腕あたりを強化し、振りかぶる。そして、まだおろおろとその場に立ち尽くしているスナイパーに向かって、思い切り投げた。
「おーし、大命中!」
連続して石を投げ、もう一人のスナイパーにも当てる。強化系が苦手なシロノには石がどこに当たったかまではよく見えなかったが、花火のように血が弾けて、人影がどさりと倒れたのが辛うじて視認できた。
まるで縁日の的当てでもしているかのような様子だが、ウボォーギンがいる場所からスナイパーのところまでは、ゆうに1キロメートルほどの距離がある。しかし世界規模でレベルの高い強化系であるウボォーギンには、これも遊びの範囲くらいにしかならないのだ。
「そこまでだ、バケモンが!」
「ん?」
大きな声が響き、全員の注目が集まる。そこには、大柄なマフィアが、大きなバズーカ砲を肩に抱え、ウボォーギンに向けている姿があった。
「戦車も一発でオシャカにしちまうスーパーバズーカ砲だぜ! コナゴナになれや!!」
「悲しいぜ。オレはたかが戦車と同じ評価かよ」
「死ねィ!!」
手のひらを広げて前に突き出したウボォーギンに向かい、マフィアがバズーカ法を撃つ。ドン、と山が揺れるような音がした。爆炎が上がり、「やったか!?」と他のマフィアたちが、揃って期待を込めた顔をした。
「……さすがに、かなり痛えな」
土煙が晴れた後。
そこにいたのは、上半身の衣服こそ消し飛んでいるものの、一歩も後退せず立ったままのウボォーギンだった。手のひらを中心に広がった煤から、彼が素手でバズーカの弾を受け止めたことがわかる。
──ワァアアアアアアア!!
マフィアたちの恐怖による絶叫が、荒野に響いた。
恐慌状態に陥った彼らは方々に全速力で走り散っていく。しかし、それを逃がすようなウボォーギンでは、もちろんない。
「はっ、一人も逃さねーよ。──おいシロ! お前も自分で食え!」
「あたしも? いいの?」
「おう。援護してやっから、ちゃんと全部食えよ」
「うん!」
そう言って笑顔で立ち上がったシロノは、大好きな友達に“一緒に遊ぼう”と誘われたときのそれだった。
「──いただきまぁーっす!!」
満面の笑みで、夕食の宣言が成される。
巨大なナイフとフォークが、皿の上で逃げ惑う黒服たちに向けられた。
「シロノ……?」
双眼鏡を覗いていたクラピカは、レンズの向こうにあった光景に、震えた声を発した。
セメタリービルで客と競売品が丸ごとなくなった事に対し、コミュニティーから、犯人に莫大な懸賞金がかけられた。
その懸賞金目当てに全マフィアが目の色を変えたはいいが、功名心が先行し、組織同士の連携は無きに等しい状態となっている。それでも、ダルツォルネの判断でクラピカたちも犯人を追うこととなり、それらしき気球を追って、ここまでやってきた。
そして、尋常でない爆音に何事かと車を降り、煙が上がる場所を双眼鏡で確認したところ、見えたのがこの光景である。
「クラピカ、どうした? ──げっ」
硬直しているクラピカを不審に思ったのか、リッツファミリーの古株であり、アマチュアハンターではあるが犬を操る念能力者であるスクワラが自前の望遠鏡で状態を確認し、青ざめた顔をした。
「一体……何者だ、ありゃあ」
呆然としたクラピカから双眼鏡を取り上げたダルツォルネが、震えた声で言う。
転がっている死体の数、放たれているオーラの凄まじさ。先に着いた連中は全滅、銃器では歯がたたないらしい──と、絶望の滲んだ声で誰かが言った。
「あいつ、素手でヒトを紙屑みてーにちぎってやがるぞ! あれを捕まえる? オレは絶対にゴメンだぜ」
「オレもだな……到底勝てる気がしねえ」
スクワラの絶叫に、バショウもまた、深刻な声で頷く。
「確かにな……。だが任務を全うするためには黙って引き下がるわけにもいかん……!」
「しかしよォ!」
「……ん? あの大男の他に、なんかちっちぇーのが飛び回ってねえか?」
明らかに勝ち目がない、しかし任務が、とああでもないこうでもないと言い合うメンバーたちを背後に、クラピカは遠くに広がる惨状を呆然と見ていた。
「そんな、……シロノ、なぜ」
双眼鏡の向こうでは、マフィアたちを全員殺しきったらしい男とシロノが、笑みを浮かべてハイタッチをしている。小さな少女のために、巨人とも言える体躯の男は、わざわざしゃがんでやっていた。
「……心音が」
「どうした」
怪訝な様子のセンリツの声に、クラピカはハッと気を取り戻した。
「いつの間にか、一つ増えてるわ」
彼女がそう言った途端、ぞくりと背筋に登ってきたもの。その悪寒に、クラピカは慌ててその場を飛び退いた。他の面々も、即座に警戒態勢を取る。
足元を確認する。するといつの間にか、土がうねるような跡を描いて盛り上がり、彼らが集まっていた真ん中辺りまでたどり着いていた。
──ずず、ず。
這いずるような不気味な音とともに地面からにゅるりと現れたそれに、全員絶句する。それは、一見してヒトと判別することの難しい存在だった。ひと目見て生理的な嫌悪感しか与えてこない見てくれは、よく見ると全裸に小さな下着だけを身に着けていることがわかるが、それがまた嫌悪感と不気味さを助長している。
「オレは、陰獣の蚯蚓。お前ら、どこの組のモンだ?」
「もう終わり? 全部食べちゃった?」
「あっけねーなー。まだかよ陰獣とやらは、──おっ」
シロノを肩車し、遠くにまだやってくるものはいないかと見渡していたウボォーギンは、現れた気配を感知した。同時に、シロノを地面に下ろす。
「やーっと来たか。おいチビ、後ろにいな。お前にはまだ早そうだ」
「あいあーい」
シロノは従順に返事をし、てってっと音がしそうな足取りで、ウボォーギンの後ろ、他のメンバーが陣取っている崖の真下まで下がった。
不自然なほど音なく、男が三人、こちらに歩いてやってくる。だらしなく腹の出た脂ぎった髪の男と、逆に不健康なまでに痩せた男。そして、髪どころか眉もなく、目鼻のパーツも驚くほど小さい、つるりとした小柄な男。
「陰獣か。競売品をどこにやった?」
「警備と客をどうした?」
痩せた男が、質問に質問で返してきた。不敵な態度だ。そして、それに見合うだけの強さがある。ウボォーギンは、テンションが上ってくるのを感じた。
「殺した。競売品は? 言わねーと……」
瞬間、背後に気配。土の中から突然這い上がってきたそれに、ウボォーギンはすかさず反応した。彼の右ストレートが、もうひとりの陰獣、蚯蚓の顔に炸裂する。あまりの威力に、蚯蚓の眼窩から、はみ出すようにして目玉が飛んだ。
「はっはァ! “絶”の腕はウチのチビのが上だな! 気付いてたぜ、さっきから!」
こちとらかくれんぼの鬼のプロだっつーの! と、ウボォーギンはしてやったりという笑みを浮かべる。しかし、目玉が飛び出すほどのダメージを受けたにも関わらず、蚯蚓は腕を伸ばし、ウボォーギンの左腕を掴んだ。
「おお!?」
ウボォーギンの左腕を掴んだまま、出てきた穴に蚯蚓が頭を突っ込み、液体のような滑らかさで地中に潜っていく。あっという間に、ウボォーギンの腕が肩まで地中に埋まった。
「ぬお!!」
「くくく、もう逃げられねェ……さあ選びな……! 地中でオレに殺されるか! 地上で他の三人に殺されるか!」
肩まで地中に引きずり込まれ、体勢を崩したウボォーギンの背後で、三つのオーラが飛び上がるのがわかる。しかし、ウボォーギンは動じなかった。
「──馬鹿が!」
気合の声とともに、不自然な姿勢、だがそれでもまっすぐに振りかぶられたウボォーギンの右拳に、尋常でない密度のオーラが集まる。
「逃げられねーのは、テメェだ!」
──超破壊拳(ビックバンインパクト)!!
轟音。
それは、先程のバズーカとは比べ物にならないほどの破壊音だった。ウボォーギンの放った一撃は一瞬にして巨大なクレーターを作り出し、他の陰獣三人は、慌ててクレーターの外に飛び退る。
「おっと、逃がすか!」
「ぐぅっ……!!」
ウボォーギンがすかさず掴み上げたのは、さらに地中に潜って逃げようとしていた蚯蚓だった。地中で逆さの状態だったために、超破壊拳(ビックバンインパクト)が直撃した下半身は吹き飛び、ウボォーギンの左腕を掴んだ手は、そのままの状態でちぎれている。
「うぐ……ァアア……」
「へえ、この直撃で生きてるってな立派なモンだ。滋養がつきそうじゃねーか」
「滋……養……?」
「おらチビ、食え!」
ウボォーギンが、半分死んでいるような蚯蚓を、シロノの前まで弓なりに投げる。元々人間とも言い難い見た目の上、下半身が吹っ飛んで骨や内臓がはみ出し、しかも土まみれになっている蚯蚓に、シロノが嫌そうな顔をする。
「うぇ〜〜〜、キモい」
「こらぁ! 好き嫌いすんなっつってんだろ!」
「はーい……」
シロノは渋々ナイフとフォークを構え、死にかけている蚯蚓に、ふうっと息を吹きかけた。それにより、なくなりかけていた蚯蚓のオーラが、強制的に“練”の状態になる。
「ぐぁあああッ……」
蚯蚓が、混乱と恐怖で絶叫する。この状態での“練”は、確実に死を意味するからだ。しかしシロノは淡々と、立ち上ってきたオーラをナイフとフォークを使って器用に切り取り、口に入れる。
「ンンン〜〜〜、あ、結構イケる!」
「マジかよ」
食えと言っておいて若干引いているウボォーギン、そして崖上の面々に、シロノは口をもぐもぐさせながら頷く。
「クセが強いけどね。あ、死んじゃう前にさっさと食べなきゃ」
ぴくぴくと痙攣している蚯蚓から絞り出されるように立ち上るオーラを、シロノはぱくぱくと食べていく。崖の上にいるシャルナークが、「食べきったらどっちにしろ死ぬけどねアハハ」と妙に朗らかな声で笑った。
「そういや、ゲテモノは美味って相場が決まってるもんだよな。じゃ、次々行くから、どんどん食えよー!」
「はーい! ゴチになりまーす!」
満面の笑みで、シロノは手を上げた。
「な……なんだ、ありゃあ……」
「ウチで飼ってるネコみたいなもんだ。いいだろ、凶悪で」
唖然としている陰獣たちに、ウボォーギンは、かっかっかっと豪快に笑った。
「その、蜘蛛の入れ墨……」
ウボォーギンの、背中側寄りの脇腹にある、11番のマークが入った、巨大な蜘蛛の入れ墨。上半身の衣服がなくなったことで顕になったそれを見て、陰獣たちは警戒を高めた。
「幻影旅団……!」
「じゃああのチビが、噂に聞いてる子蜘蛛ってやつか?」
他の団員と違い、単独での犯罪歴がなく、はっきりと表舞台に出てくることがない。しかし幻影旅団の動きの隙間を縫うようにして現れるという小さな姿は度々報告されており、幻影旅団メンバーらが実際に口にしたと確認された“子蜘蛛”という名称は、ブラックリストハンターらも認識しているものとなっている。
「おう、そういうことだ。事情があって大量に餌食わせなきゃなんねーんだ、お前らは特に滋養があるみたいで助かるぜ」
「ふざけやがって」
「調子乗ってるなこいつ、うん」
青筋を浮かべた陰獣たちが、臨戦態勢を取る。
戦いという名の狩りが、始まった。
「うえ〜、ぺっぺっ。まだ口の中に残ってる」
「変なもん食うからだろ、馬鹿」
「だってよう、シロの奴が美味そーに食ってっから」
口から血やら骨の欠片やらを吐き出しているウボォーギンに、ノブナガが呆れたように言った。
戦いの最中、首から上しか動けなくなったウボォーギンは、自分の肩の傷口から蛭を植え付けた淫獣の頭を言葉そのままの意味で食いちぎったのだが、その欠片がまだ口の中に残っているらしい。
結局全てが終わった後、ウボォーギンが食らったダメージは肩の肉を食いちぎられたこと、そこからの毒、また蛭を産み付けられたことの三点だった。
しかしかなりのレベルの強化系念能力者であるウボォーギンであるので、怪我は既に血が止まっており、放っておけば回復する。毒はシズクのデメちゃんで吸い取ることができるし、蛭はシャルナークが対処法を知っており、ひたすらビールをがぶがぶ飲んでおけばよいという、むしろウボォーギンにとって歓迎すべき治療法だった。
つまり、マフィアンコミュニティーの虎の子である淫獣四人と戦った末、彼が受けたダメージは結局ゼロに近い、と言ってもいい。
「シロ、ちゃんと全部食ったか? ……シロ?」
シズクがウボォーギンの毒を吸い出すため崖から降りている時、ウボォーギンがシロノを見る。
ウボォーギンが極力頭を潰すことでギリギリ動いている状態にした陰獣からオーラを急いで食べていたシロノは、すっかりオーラのなくなった──つまり陰獣の死体を前に座り込み、頭をふらふらさせていた。その上目はとろんと眠そうにまぶたが下がっており、顔が赤い。
「ふえ?」
「あ〜、練度が強すぎたみたいだねえ。酔っ払ってる」
シロノの様子を見て、シャルナークが言った。
「陰獣はちょっとシロノには強かったか〜。急いで食べたからかな? でもまあ、全部食べられたからいっか」
「うゆ〜」
そう言ううちに、崖を滑り降りてきたマチが、酔っ払っているシロノを捕獲し抱き上げる。
「うふぇ〜。うふふ、いいにおい〜。マチ姉のにおい、うふふふ」
「ダメだ、完全に酔っ払ってる。もうアンタ寝な」
「や〜ん、まだ食べゆぅ、ふぐ」
シロノは駄々をこねたが、マチの指を口に突っ込まれ、物理的に口を塞がれる。指をしゃぶっているシロノを抱きかかえたマチは、フランクリンが差し出した棺桶の中に、シロノを寝かせる。マチのオーラを更に摂取したシロノはあっという間に気持ちよさそうにすやすや眠りこけており、棺桶の蓋が閉められた。
「シロノはもうこのまま明日まで寝かせとこう。えーっと、誰か車でビールたくさん取ってきて──」
シャルナークがそう言った瞬間、全員がハッとする。──気配。
ジャラ、という金属が触れ合う音がした。音の出処は、ウボォーギン。見れば、いつの間にか、鎖がウボォーギンの身体に幾重にも巻き付いていた。
「──うぉお!?」
物凄い勢いで引っ張られていく、ウボォーギンの巨体。念能力者でも走って追いつくのは不可能と思われる猛スピードで飛んでいく彼に、マチがすかさず針を投げる。もちろん、念で作られた糸がついたものだ。
「見えたか?」
「うん、一瞬にして鎖が体中に巻き付いて……」
シャルナークの確認に、ウボォーギンの体の毒を吸い出すために具現化させていたデメちゃんを消しながら、シズクが答えた。
「新手の陰獣? ウボーは毒で体が動かねーし……ヒルも体内に入ったままだ」
「しかたない、助けに行くか」
さほど緊張感のない様子で言い、ノブナガとシャルナークが、ウボォーギンが飛んでいった──正しくは引きずられていった方を見る。しかし見る限りでは犯人の影は見えず、ただ街から離れた荒野から見る満天の星空が美しかった。
「今ならまだ行き先がわかる。糸の気配は“絶”で消してあるから、“凝”で見破られるか、針に気づかれて捨てられない限り──、糸はどこまでも追跡する」
マチが、やはり全く慌てた気配なく言う。彼女の指先から、念の糸が伸びていた。彼女の言う通り“凝”をしても見えにくい、極細の念糸。
「よし! 悟られる前に追いつこう」
こういう時にまとめ役になりやすいシャルナークが、宣言する。
ウボォーギンを取り戻して、残りの陰獣も一網打尽に出来れば儲けもの。方向性が定まった彼らは、マフィアたちが乗ってきた車のうち、すぐにエンジンがかかる車を探し始める。
「オレはビールを盗りに行ってくる。シロノも連れてくぞ」
「ああ、よろしくな」
シロノが中で寝ている棺桶を背負ったフランクリンと別れ、その他五名はマフィアの残した車に乗り、糸を追いかけて荒野を走り出した。