No.032/最後の晩餐に向けて
(な〜〜〜〜んか……イマイチ)
これが、カストロに対するシロノの感想だった。
試合が始まるまでの間、キルアはカストロの部屋に忍び込んだときの話をしてくれた。聞く分には相当の使い手であるようだし、キルアもそう思っているらしい。念に関して初心者なキルアの評価ではあるが、プロの暗殺者としての経験は大きいし、実際、シロノにもカストロの能力は想像もつかない。
『クリーンヒット! &ダウン!』
《なんとなんと開けてビックリ、カストロ選手の一方的な攻めが続きます! ポイントはこれで4−0!》
そして、本気を出していないとはいえ、こうしてヒソカを圧倒してもいる。
しかしシロノには、彼が“青い果実”足る人材であるようには、どうしても思えないのだった。
(……っていうか、“青い果実”っていうよりは…… “青くなくなっちゃった果実”? みたいな)
シロノは、攻撃を受けるままのヒソカを、じっと観察した。今の彼には、覇気がない──どこか気が抜けているような、そんな風に見えた。攻撃を受けながらカストロの能力を吟味しているようにも見えるのだが、本当にそうならば、もっと楽しそうにしているはずだ。だが──
「……ヒーちゃん、つまんなさそう」
「なんか言ったか?」
ぼそりと呟いたシロノに隣のキルアが振り向くが、シロノはふるふると小さく首を振って、何でもない、と静かに返した。
そしてそんなローテンションなヒソカに対し、カストロはややうざったいほどにやる気満々だ。彼は得意技であるらしい虎咬拳という拳法の構えを取ると、裂帛の気合とともに、一直線にヒソカに向かってゆく。
「あげるよ♥」
すい、と左腕を無防備に前に出したヒソカに、闘技場中が目を剥く。しかしシロノは、彼の薄い表情を見て、ヒソカが少し気の毒になった。
「フン、余裕かそれとも罠のつもりか!? ──どちらにしても腕はもらった!」
なんかいちいちカンに触る人だな、とシロノは冷めた目でカストロを見た。無駄に迸るやる気が鬱陶しいのもあるが、シロノの個人的な好みとして、あのひらひらした服や髪も視覚的に気に入らない。そしてヒソカもまた、まったく温度のない目で、自分の腕をもぎ取らんとしているカストロをすっと見遣っていた。
ボン! と音がして、ヒソカの右腕が千切れ飛ぶ。
「全てが自分の思い通りになると思ったら大間違いだ」
カストロがヒソカの背後でそう言ったのを“凝”を行なった耳で聞き届けたシロノは、とてもイライラした。ヒソカは、そんなことは思っていない。むしろ自分の予想外のものを求めているのに、あの男は何をトンチンカンなことを言っているのだろう。
「これも計算のうちだね♣」
その証拠に、ヒソカの表情はとても冷めている。
そして自分の腕を受け止めたヒソカは、カストロの能力の正体が『ダブル』であることを淡々と説明した。その間、彼の抱いていたものがどんどん萎んでいくのが、シロノにはわかる。それは“期待”だ。
「これが念によって完成した真の虎咬拳、名付けて虎咬真拳!」
《お────っとカストロ選手、そのままのネーミングだ────!》
イラッ、とシロノの眉間に皺が寄った。あの男はなぜあんなにもテンションが高いのだろうか、人の気も知らないで。
「空気読め……」
次は左腕を頂く、とやけにきりりとした表情で宣言するカストロを忌々しげに睨みつけたシロノは、妙に低い声で呟いた。
「うーん、そうだな────♦」
千切れた自分の右腕を左手でくるくる回したヒソカは、この試合が始まってからほとんど初めて、はっきりと唇を釣り上げた。
「うっ」
「お、おい、シロノ!?」
突然ぐらりとよろけてキルアに縋り付くようになったシロノに、キルアがぎょっとする。二人の両隣に座っていた観客は、刺激の強すぎる試合に貧血でも起こした少女が少年に縋り付いた、という風に見えているようだが、実際はそうではない。シロノの鼻に、ぶわ、と突如広がったヒソカのオーラが届いたせいだ。
「……うう、思ってたよりキツい」
「大丈夫かよ? って、え、おい……」
(ふわああああ、いい匂い)
シロノはキルアの肩口に額を乗せ、鼻から思い切り息を吸い込んだ。素晴らしい香りが、一気に鼻腔に飛び込んで来る。そしてまさか芳香剤代わりにされているとは露知らぬキルアの顔は僅かに赤く、自分の腕を両手で掴んで自分の肩口付近で大きく息をするシロノを、困ったように見遣っていた。
「ちょっとやる気出て来たかな……?」
──嘘だ。
キルアにもたれかかったままのシロノは、はっきりとそう思った。自分の腕の肉を噛み締めるヒソカが抱いているのは、やる気でもなければ、まして喜びでもない。
彼はいま、失望したのだ。
それからの試合の流れは、ヒソカの独壇場だった。
(バカじゃないのあの人)
キルアを臭気のガードにしつつ観戦を続けるシロノは、既に眉間の皺がここ数分消えていない。『ダブル』を出すことに全力をかまけてしまっているカストロは、どうやら“凝”もろくろく行なっておらず、そのせいで彼はヒソカのトリックにするすると乗せられ、今は激しい動揺に汗を滲ませている。
「くっくっく、どうした? こわいのかな」
後ずさったカストロに向かって、ヒソカは冷めた声で言った。カストロはヒソカのトリックを、まったくもって見破れていない。だが逆にヒソカは、カストロの能力を既に完全に見切ってしまっている。二人のその差異は、既に滑稽なほど。タネのばれてしまった手品はつまらないだけでなく、見ていてなんだか虚しいものだ。
「非常に残念だ♠ キミは才能にあふれた使い手になる……そう思ったからこそ生かしておいたのに」
そして観客でさえそうなのだから、奇術を扱う者から見れば、それは既に腹立たしくさえ思えるものだろう。それはいま舞台に立っている希代の奇術師もまた、例外ではない。ヒソカは表情を険しいものにして、言った。
「予知しよう、キミは踊り狂って死ぬ♠」
ヒソカがいま抱くのは、失望と、怒りだ。それは、期待をかけていたせっかくの“青い果実”が、間違った育て方をしたせいで、中身がスカスカのつまらないものになってしまっていた、その虚しさからくるもの。そしてそれは、カストロが焦り、熱くなればなるほど深まってゆく。
「そんなことも、知らなかったのか……♠」
振り向いたヒソカの目が、ぎらりと輝いている。しかしそれは“凝”のせいだけではない。その目には、情けなく地に落ちて腐ってしまった果実に対する蔑みが、深く宿っていた。
「……おい、なあ、大丈夫か」
試合が終わったあと、ぐったりともたれかかって来るシロノに、キルアは声をかける。
「あー、んー、……ヘーキ。ありがとねキルア」
「ん、おう」
シロノはキルアから離れると、ぷるぷると頭を振った。そして大きく息を吐く。
あの後、カストロはヒソカの予知通りに彼のトリックに踊(・)ら(・)さ(・)れ(・)た(・)まま、地に伏した。ヒソカはぐしゃりと地に落ちた“果実”に背を向けると、自分の腕を拾い上げてさっさと退場して行ってしまい、既に舞台には居ない。
「……あたし、ヒーちゃんとこ行って来る」
「え?」
「腕ちぎれてるのはホントだろうし、治さなきゃ」
「って……」
キルアは目を見開く。いかにも自分がヒソカの腕をどうにか出来る、と言わんばかりのシロノの言葉に、そんな事まで出来るのか、と彼はシロノを問いつめようとした。しかしシロノはさっさと立ち上がって、踵を返す。
「じゃあね! チケットのお金、あとで届けるからー!」
「おい、待てって……!」
キルアの制止も虚しく、そう言い残して、シロノはあっという間に駆けて行く。スカートを翻して遠のいていく後ろ姿を、キルアは呆然と見つめた。
「あれ?」
選手控え室に居ないのならば彼の部屋だ、とシロノはヒソカの部屋に向かった。そしてそこに至までの廊下で彼の姿を見つけたのであるが、その隣には、見知った小柄な影がある。
「──マチ姉!」
「ああ、シロノ。久しぶりだね」
相変わらずクールな彼女は、振り返り、素っ気なく言った。
「なあんだ、マチ姉来てたんだ。じゃああたしが治さなくてもいいね」
「こら、タダでそういうことするんじゃないよ。しかもコイツ相手に」
「ひどいなア♠」
諭すようなマチに、ヒソカは小首を傾げつつ言った。その顔には、笑みが浮かんでいる。お馴染みのピエロ的な笑みだが、先程の試合で見せた無表情に比べれば、断然温度のある表情だ。
「前から思ってたんだけど、今日の試合見ててハッキリしたよ。あんたバカでしょ」
部屋に入って、“仮止め”状態だった右腕を外したヒソカを椅子に座らせるなり、マチは言った。
「わざわざこんなムチャな戦いかたしてさ。あれって何? パフォーマンスのつもりなの?」
「違うよ、マチ姉。あのね、ヒーちゃんはね」
「アンタは黙ってな」
ぴしりと言われ、シロノは仕方なく黙った。
だが、シロノにはわかっていた。あれはパフォーマンスなどではない。彼はあくまで自分が楽しむ為に戦っているのであって、観客を楽しませる為のサービスなどするはずがない。彼はただ、まずい果実をどうにかして多少でも美味しく食べようとした、それだけだ。失敗した料理に様々な調味料をふって、味を誤摩化して食べるときのように。
それにしては両腕とこの怪我は大盤振る舞い過ぎるような気がするが、彼は美味しい思いをする為であれば、一切妥協をしない男だ。シロノはそのあたり、いっそ尊敬すらする。
「ま、あたしはもうかるからいいんだけど」
マチはそう言って、素晴らしい手際でヒソカの両腕を念糸で縫い繋ぐ。ヒソカが具合を確かめるように指先を動かした。
「おお〜〜〜〜〜〜」
「いつ見てもほれぼれするねェ♥」
見事に元通りくっついた腕に、シロノとヒソカが感嘆の声を上げる。
「間近でキミの念糸縫合を見たいがために、ボクはわざとケガをするのかも♥」
あ、これは本当かも、とシロノは思う。先程の試合とは打って変わってすっかり笑顔を浮かべているあたり、もしかすると、まずい食事の“口直し”的な意味でマチを呼ぶためにわざと大ケガをした、という可能性は、考えられなくもない。
「いーから左手2千万右手5千万払いな。ところどころちぎれてるけど、自分で後は処置してね」
アンタのバンジーガムとドッキリテクスチャー使えばなんとかなるでしょ、というマチの言葉通り、ヒソカはハンカチを取り出すと、あっという間に腕の傷をカモフラージュした。
──速い。
マチもヒソカも、相当の使い手である。一流だ、と言い換えてもいい。そして一流は一流を求めるもので、“高級志向”のヒソカは特にそうだ。彼は常に自分の肥えた口に合うものを求めて彷徨い、おそらくそうなるかもしれない青い果実までチェックする熱心ぶりだ。……しかし今回、彼のその最大の楽しみは裏切られてしまった。
「ガッカリだったね、ヒーちゃん」
シロノが、突然言った。マチは何のことだか全く分かっていない様子だが、その言葉を聞いた途端、ヒソカがぴくりと反応した。
「ガッカリ……。ああ、ガッカリ、ね。うん、まさに。ピッタリの表現だよシロノ」
「ねー」
ふー、とため息をつきながら言うヒソカに、シロノは頷きながら相槌を打つ。
「てか、強化系だよねあの人? あの虎咬拳っていうやつ普通に極めればいいのに、そこで何であの能力? いみわかんない」
「そうなんだよねェ…… 違う念系統をあそこまで出来る才能があるってわかるだけに」
「“なんでそこでそっち行くかな!” みたいな」
「そう。それ♠」
ビンゴ! とでも言わんばかりに、ピタリ、とヒソカがシロノを指差した。
その後もまだ何やら語り合っている二人を見て、マチは何か既視感を覚えた。この光景は、どこかで見たことがある。そう、例えば夕方の電車の中などで。
(……ハズレゲーム掴まされた中学生みたいだな……)
予約までして楽しみにしていたあのゲームの新作なんだけど、余計な新システムばっかりついててさ、どうにかこうにか楽しもうと努力はしたんだけどやっぱりつまんないからむかついて、結局ゲームソフト叩き壊しちゃったんだよね、ああ、わかるわかる、ボクでもそうするよ、あんなつまんない続編作るなんて、制作者は何もわかってないよね。──二人の会話は、要約するとつまりそんな感じであるように思えた。
「……盛り上がってるとこ悪いけど。じゃあ、あたしは戻るわ」
「もう?」
「マチ姉帰っちゃうの?」
揃って同じ方向に首を傾げる二人に、マチは「仕事終わったんだから当然でしょ」、とクールに言い切る。しかし、念糸の強度には限界があるから完全にくっつくまで無茶をするななど忠告も忘れないあたり、彼女の性格だろう。
「あ! そーだ、肝心の用事」
忘れてた、という感じで、マチが振り向いた。
「伝令(メッセージ)の変更よ」
その台詞に、二人がぴたりと動きを止める。
「8月30日正午までに、“ひまな奴”改め、“全団員必ず”ヨークシンシティに集合!」
「あたしも?」
「当たり前だろ。遅刻したら承知しないよ」
「あいー」
「……団長もくるのかい?」
シロノと違ってマチのほうを見ないまま、ヒソカが言った。
「おそらくね。今までで一番大きな仕事になるんじゃない? 今度黙ってすっぽかしたら団長自ら制裁にのりだすかもよ」
「それは怖い♥」
「こわあー」
「ひとごとみたいに言ってんじゃないよシロノ」
マチが、じろりとシロノを睨む。
「その時までに能力を使いこなせてなかったら、今度は読書感想文どころのもんじゃないよ」
「大丈夫だもん。ねーヒーちゃん」
「そうだねえ、今の感じだとかなり順調なんじゃないかな? ヨークシンに行く頃には万全になってると思うよ♣」
「ほらね」
「……それならいいけど」
ため息をつきつつ、マチは肩の荷物を担ぎなおした。
「ああ、ところでどうだい? 今夜♥ 一緒に食事でも……」
──バタン。
ヒソカがくるりと振り向いた時には、既にマチは部屋に居なかった。シン、とした静寂だけが、部屋に横たわっている。
「……残念♥」
「ガッカリだったね、ヒーちゃん」
その後。
試合の汚れを落とすため、ヒソカはシャワーを浴びにバスルームに入った。服を籠の中に放り込み、コックをひねる。熱めの湯が、無駄のない筋肉の上でばちばちと弾ける音を立てて落ちた。
汚れが全て落ちきると、息をついて、湯を止める。
「──ん、」
髪を拭きながらバスルームを出たヒソカは、姿見の前で足を止めた。
「あ、またはがし忘れた♠」
細身だが、何も着ていないと尚広く見える背中。その全面に這うのは、4番の数字が刻まれた、12本足の蜘蛛。しかしヒソカはその背中に手を遣ると、あっという間にそれをぺりぺりと剥がしてしまう。そして彼の手に残るのは、ただの真っ白なハンカチ。
「旅(ク)団(モ)か……。新しいオモチャも見つけたし」
そろそろ、狩るか。
ヒソカがそうして薄く笑みを浮かべた、その時。コンコン、とノック音が部屋に響いた。音がドアのやけに低い部分からしたことで来客が誰なのかすぐにわかったヒソカは、すっとそちらに身体を向ける。
「どうしたんだい、シロノ?」
「あのねー、マチ姉ね、あたしも一緒だったらヒーちゃんとゴハン食べてもいいって」
それでね、マチ姉は和食が好きだからね? とシロノは首を傾げる。つまり三番街に行く、という意味だ。そこには、この町一番の和食料亭がある。子供の修行に付き合ったヒソカは、それをよく知っている。
共に過ごすうちに、この子供とのやり取りにどんどん言葉が要らなくなっていることを、ヒソカは深く実感していた。生まれて初めて出会った、殆ど同じ価値観を持つ存在。
「元気出してね、ヒーちゃん」
「……キミは良い子だねえ、子蜘蛛ちゃん♥」
にこり、とヒソカは笑みを浮かべた。子供からは見えないその背中には、蜘蛛は居ない。
ヒソカは、自分以外の誰にも属さない。それが例え、どんなに気の合う者であっても。
同じ価値観で話せる同士が居るのは、悪くない。ヒソカはシロノと居ることでそれについては認めていたが、しかし、この子供のために身を尽くしてやろうという気などない。
気が合うというのは、それぞれのやっていることに理解を示せるということ。だが、それに力を貸してやろうと思うかどうかは、また別の話。しかもヒソカは気まぐれな変化系だ。
同じテーブルに着いて楽しく話が出来る相手でも、自分の皿の上の果実にまで手を伸ばしてくるような無粋な真似をするようならば、ヒソカは椅子から同席者を蹴り落とすのに躊躇いはなかった。
「……平気さ、青い果実はひとつじゃない♥」
「おお、前向きだねヒーちゃん」
「もちろん♥ 明日にはもうカストロの顔も忘れてるね」
「うん、そうだろうね」
だってあたしのことも忘れてたもんね、とシロノは特に感慨もなく、けろりと言った。
──お互いを深く理解している。だが、それだけ。
それがこの子供もおそらくそうだということを今の台詞で確信したヒソカは、また笑みを深くする。
(こ(・)う(・)い(・)う(・)と(・)こ(・)ろ(・)まで気が合うとはね)
ならば。
どちらかが席を立って、別のテーブルに移動することはあるだろう。しかし自分が椅子を蹴り飛ばす必要は多分なさそうだ、とヒソカはにっこり微笑んだ。
「ところでシロノ、部屋に入った時男がこういう格好をしてたら、なにかリアクションを取るものだよ♦ ちょっと悲鳴を上げるとかね」
「そうなの? それも“様式美”?」
「そうそう♥」
「そっか。今度から気をつけるよ」
子供が素直に頷くと、ヒソカは背中を見せないようにして、器用に服を着た。
──とりあえず今は、同じテーブルに着くために。