No.031/ファストフードの憂鬱
一ヶ月が過ぎた。
ゴンの念修行禁止期間が半分となった日の夜、キルアはチケットを購入していた。明日行なわれる、ヒソカ VS カストロの試合のチケットである。
200階クラスの闘士ということで優先券を取ることは出来たが、それでも1枚15万もしたそのチケットを、キルアは一応ゴンのぶんもということで、2枚購入した。
「……ん?」
受付内の人間がチケットを手配している間、対戦表を眺めていたキルアは、ふと見つけた名前に、僅かに目を見開いた。
「……なあ、このチケットいくら?」
「シロノ選手 VS ギド選手の試合ですか? 3万8千J(ジェニー)になります」
単なる試合や選手のデータ以上の評判や噂も教えてくれる受付は、この試合は明日の朝一番に予定されている、現在一番人気のヒソカ VS カストロ戦の前座のような扱いである、と言った。
「シロノ選手はは200階に来てからまだ一度しか試合をしていませんからね。そんな選手と中堅どころのギド選手との試合なら本当はもう少し安いんですけれど、シロノ選手は少し特別で」
「ああ、噛み付くってやつ?」
実はあの後、キルアは録画ビデオで、シロノの過去の試合をいくつか観た。噂通り、高いレベルで格闘が出来るにもかかわらず、結局は相手に噛み付いたり飛びかかったりという、泥試合、いや動物的な試合の流れになっていく様は、結局は勝っていても、はっきり言って無様だった。
キルアは最初普通に引いたが、しかし、いくつかの試合を見るうち、ふと気付いたことがあった。シロノは普通に戦えばそれなりに強い、これは間違いない。そしてその強さを、シロノはあくまで相手に噛み付く為にやっているのではないか、というのがキルアの見解だった。相手にいかに噛み付くか、その為に熟練されたステップで相手の背後に回り込み、引き倒す。普通に戦えば楽に勝てる相手でも、噛み付く為に機会をうかがっているうちにポイントをとられて負ける、ということも少なくないようだった。
──シロノは、相手に勝つのではなく、噛み付くのを目的に戦っている。
(意味わかんねーけど)
でも確かだ、とキルアは確信していた。
「そう。小さい女の子が噛み付いて戦う泥試合っていうんで、一部の妙なマニアに人気なんですよね。結構かわいい子ですし」
「……あ、そー」
世の中には色んなマニアがいるものだ、とキルアは半目で生温い笑みを浮かべる。
「購入なさいますか? すぐ始まりますけど」
受付が尋ねる。キルアはしばらく無言で対戦表を眺めていたが、やがてぼそりと言った。
「……うん、ちょーだい」
当日券であるにもかかわらず簡単に取れたそのチケットで、キルアは観客席に腰掛けた。見回すと、席はだいたい埋まっているが、200階クラスの試合であれば皆そうだ。
《さあっ、今夜は先日ゴン選手を破ったギド選手と、唯一の女性選手っ、しかも10歳という最年少選手であるシロノ選手の試合です!》
威勢のいい実況アナウンスが響き、中央の闘技場に、紹介された二人が両側から登場した。
《ギド選手は現在5勝1敗、対するシロノ選手は200階ではまだ一戦しか行なっていませんが、対戦相手の◯◯選手は未だ入院中、再起不能との噂! またこの試合を含め、対戦相手に噛み付くなど、かなりワイルドな戦い方が注目されているシロノ選手ですが……。今日の服装はとてもそんな戦い方をするようには見えませんね?》
実況の言う通り、今日のシロノの服装は、短いボレロに大きなリボンタイが印象的な、女の子らしいものだった。足下は黒のハイソックスと、ボレロと同じ白色の、先が丸く膨らんだようなデザインの、ストラップつきのパンプス。そして何より、プリーツスカートを履いていた。マチブランド・コレクションの中でも滅多に着ない、“パクノダモデル”である。
《あんな格好でいつもの戦い方をするのはあまりよくないんじゃないでしょーか、えー、観客席のマニアの皆さん、写真撮影は控えめにお願いしまーす》
ガシャガシャと長いカメラを更に長くしている“マニア”な何人かに、実況が冷ややかなアナウンスを行なった。
「……んもー、なんかハズカシーなー」
「ククク」
実況と観客のやり取りに、シロノはぷっと頬を膨らませる。対するギドは短く喉で笑うと、持っている杖を一度カツンと鳴らした。
「安心しな、お嬢ちゃん。俺に噛み付くどころか近寄ることも出来やしないさ。せいぜい行儀よくしてるんだな」
「む、言われなくてもそうするよ」
膨れっ面のままシロノがギドに向き直ると、審判がさっと両腕を上げた。
『──始め!』
その声と同時に、カン! と固い音がする。ギドが独楽を杖の上に並べ、臨戦態勢になったのだ。
「行くぞ!」
そしてかけ声とともに、凄まじい回転がかかった十個の独楽が、舞台に広がる。
「はは、どうした!? 怖くて動けんか」
突っ立ったままじっと動かないシロノに、ギドが高笑いする。そしてその時、ガツン! と独楽と独楽がぶつかり、一直線にシロノの正面に向かって行く。
「バカ、避けっ……!」
キルアが思わず席を立つ。しかしシロノは動こうというモーションを全く見せなかった。ゴンの二の舞になる、とキルアが冷や汗を浮き上がらせたその時、シロノの唇が僅かに吊り上がったのを、彼は見た。
「……いただきます」
──カンッ。
「……え?」
コロコロと、床に転がる独楽。ギドがその光景に、信じられない、というような、ひっくり返った声を出す。
「ん〜〜〜、まずくはないけど、いまいち……」
そう呟いて、ぺろり、とシロノは唇を舐めた。
「な……どういうことだ!?」
シロノは、向かって来た独楽に向かって、フワリと腕を振った、それだけに見えた。しかしそれだけで、独楽は瞬(・)時(・)に(・)オ(・)ー(・)ラ(・)を(・)失(・)っ(・)て(・)、まるっきり普通の独楽に戻ってしまい、コロコロと床を転がって動かなくなった。
「くっ……! ……何をしたァ!?」
ギドが叫び、更に独楽を増やす。数が増えたことでぶつかり合う回数も増えた独楽は、数個がいっぺんにシロノ目がけて飛んでゆく。だがやはり、シロノは全く動じない。
「質より量、ってトコかな。……まあいいや」
ふわり、と、シロノは右腕を振り上げた。
──それから、およそ10分。
向かって来る独楽の周囲の空気を撫でるような動き、キルアにはそんな風に見えた。
「え〜、もうお終い? お代わりは?」
「ふ、ふざけやがって……!」
独楽をシロノに落とされてはギドが増やし、落とされては増やし。何度かそれを繰り返したが、独楽という物理的なものの数には限りがある。手持ちの独楽が出尽くしてしまったギドは、悔しげに呻いた。
生き物のように動いていた沢山の独楽が虚しく床に散らばる様は、まるで蝉の死骸が沢山転がっている様にも似ている。
《──ど、》
開始十分でギドの独楽が出尽くすというあまりの急展開に呆気にとられていた観客たちだったが、実況アナウンスが声を出したのがスイッチだったように、凄まじい歓声が沸き起こった。
《ど────したことでしょーかっ! ギド選手の独楽が全てフツーの独楽に戻ってしまいましたあっ、シロノ選手、何をしたあ────ッ!?》
(くそっ、全然わかんねえ……!)
喚く実況と凄まじい歓声を聞きつつ、キルアも眉を顰める。シロノは、独楽の近くまでするりと手先を伸ばすだけで、独楽本体に触れてすらいない。しかしシロノの手先に独楽がすれ違った途端、独楽はオーラを失い、床に墜落していくのである。
「ね、疲れた?」
コテン、とシロノが首を傾げた。
「50、んん、60コはあったもんね。もうあんまりオーラ残ってない?」
「……舐めるなァッ!」
ギュン! と風を切る音を立てて、ギド自身が大きな独楽のように回転を始める。
《おお────ッとギド選手、出ました必殺奥義・竜巻独楽! 攻防一体のこの技に攻撃は効きませんっ、あらゆる攻撃はその回転に弾き飛ばされること確実、今までも幾人もの選手がその犠牲になってきましたっ! ……えー》
コホン、と、実況が気を取り直す。
《この技を発動したギド選手に突っ込んでいくのは、まさに自殺行為と言えましょう! さあどうするシロノ選手っ、どうやって攻撃をしかけるのかっ、……ていうかスイマセン動いて下さーい! テレビ的なとこ考えて──ッ!》
ギュンギュンと回り続けるギドに対してただ突っ立っているだけのシロノに、実況が痺れを切らして突っ込みを入れる。
「……ねー、攻撃して来ないの?」
「うっ、うるさいっ! この技は攻防一体の究極技なのだ!」
つまりは相手が攻撃して来ないとどうにもならない、ということだろう。本来ならばギドにもこの状態のまま独楽を一斉に射出する『散弾独楽哀歌(ショットガンブルース)』という技があるのだが、先程独楽を出し尽くしてしまったので、それを使うことは出来なかった。
「……ま、いいけど。じゃこっちから行くね」
《おーっと、初めてシロノ選手から動いた──ッ!》
タン、と床を蹴ったシロノの瞬発力は、軽やかな良い踏切だった。そして回転するギドのすぐ近くまであっという間に近付くと、ふわりと左手を振り上げる。
(……左手?)
キルアが眉を顰める。今まで独楽の攻撃をいなしていたのは、右手だったはずだ。
「馬鹿めっ、どんな攻撃をしかけようとこの回転で跳ね返して──」
──スカッ。
回転したまま意気揚々と講釈を垂れようとしたギドだったが、いつまで経っても降りて来ない衝撃に、そのまま言葉を失った。
《かっ……空振り? 空振りですか? ……あ、なんとシロノ選手空振り──ッ!》
間の抜けた実況に、ギドも思わず無言である。ズッコケている観客が、何人か見受けられた。
(……何だ? 今の)
手を振り下ろしたその瞬間、シロノの手元がキラリと光ったのを見たキルアは、その正体が何なのか見極めようと目を細める。しかし手の半分近くを覆うひらひらしたレースの袖に隠れて、それはあっという間に見えなくなってしまっていた。
「空振りじゃないよ」
綺麗に着地を果たしたシロノが、静かな声で言う。そしてそのまま、左手を持ち上げた。レースの袖が重力に伴ってめくれ上がり、その手に持っているものの姿が露になる。
「じゃーん」
「……フォーク?」
間抜けな口頭での効果音とともに現れた意外な道具に、キルアは思わず実際に声を出して呟く。意外に思ったのは全員が同じだったようで、フォーク、ただのフォークだよな、と訝しげにざわめいている。
シロノが持っていたのは、金色をした、どこか高価そうではあるが、何の変哲もないフォークだった。切っ先が四つに別れた、本当に普通のフォークである。
「くるくるくるくる」
そしてシロノはそう言いながら、手に持ったフォークを、空気をかき混ぜるような動きでくるくる回す。「魔女っ子っぽい……」というどこかから聞こえた呟きとともに、いくつかのシャッター音が聞こえた。……世の中には色々なマニアが存在する。
「くるくるくるくるくるくる」
「ぐっ……!?」
わけのわからないシロノの行動にしばらく呆気にとられていたギドだったが、回り続けるうちに違和感に気付き、さっと青ざめた。
(なん、だ……これは……!)
ぐらぁ、とギドの視界が揺らぐ。
(毒か……!? いやあのフォークは俺の身体に触れていない……!)
《どうしたことでしょうか!? ギド選手の回転が遅くなってきました!》
素人目から見ても明らかな異変に、実況が思わず席を立って叫ぶ。
「くるくるくるくる、くるくるくる」
シロノは既に、ギドを見ていなかった。薄い灰色の目は、自分でくるくると回し続けているフォークの先をじっと見つめている。
(なん……これ……は……)
ギドの回転の軸が、大きく崩れた。
ドシャアッ、と、一本足の義足を持つ身体が床に倒れ込む。素早く審判が駆け寄って側に屈み込み、ギドの様子を窺う。「立てるか!?」と審判が尋ねるが、ギドはひゅうひゅうとかすれた息を出すだけで、返事すら出来ないような状態だ。
『──ギド選手、試合続行不可能! 勝者! シロノ選手!』
審判が宣言し、ワァッ、と歓声が起きる。
シロノはいつの間にか回すのをやめたフォークを眺めると、ふいに口を開け、フォークをぱくりとくわえた。そして僅かに笑みを浮かべると、既に意識が朦朧としているギドを見る。
「──ごちそうさまでしたっ!」
《なんと、今までのワイルド極まる戦い方とは一転! シロノ選手、ミステリアスなほどに優雅な戦いです! いえそれ以前に何をしたのか全くわかりませーん!》
「やあ、シロノ♥」
「あ、ヒーちゃん」
あっという間に終わってしまった摩訶不思議な試合に会場はまだざわざわとしていたが、さっさとそこを後にしたシロノの前に、にこにこと微笑む奇術師が現れた。
「順調に能力を使いこなしてるみたいだね♦」
「あー、んー、ぼちぼちねー」
「おや、……モノ足りなさそうだね?」
シロノの様子を見て、ヒソカが笑みを深くしながら言った。
「だってえ、すぐ終わっちゃったんだもん。別に大して美味しくもなかったし、これじゃまるでファストフードだよ」
いや、ファストフードならまだ質より量という感じでお腹いっぱいになるまで食べられるだけマシだ、とシロノはぶつくさ文句を言った。
「中途半端に食べると余計におなか空くでしょ? あれがイヤ」
「わかるわかる♣ 中途半端に戦ると余計に疼いて始末に負えない♠」
「だよねー、そんでどーでもいいスナックみたいなやつ大量に食べちゃって結局なんか微妙な感じになるだけなんだよ。やんなっちゃう」
端から聞けばちぐはぐにも聞こえる会話だが、二人の間では、それは深い同意を伴った、ツーカーとも言えるやりとりだった。
「まあ、おなかの足しになっただけいいかな」
「あんまりジャンクフードばっかり食べてると、舌が鈍るよ♦」
「ヒーちゃんは基本的に高級志向だもんね」
同じ価値観を持つ二人だが、決定的に違う所もある。シロノはオーラを食べて栄養として摂取という“食事”のスタンスなので、“質より量”というやり方も有効だが、ヒソカの場合はいわば嗜好品類の中毒による禁断症状といったほうが適切で、“質より量”もないよりはマシだが、できれば僅かであっても純度の高いものを摂取したい、という欲求がある。とはいっても、摂取しなければ耐えられない、という所は同じなので、違っていた所で大した差異ではない気もするが。
「明日、カストロさんだっけ、美(・)味(・)し(・)く(・)な(・)っ(・)て(・)る(・)といいね」
「……そうだね♠」
シロノの気遣いの言葉に、ヒソカは静かに返事をする。シロノは不思議そうに首を傾げた。
「……ヒーちゃん?」
その後、小腹を満たす為にいつもの闇討ちにでも行こうかと思っていたシロノだったが、どうしてもヒソカの様子が気にかかり、その予定を取りやめた。
カストロは、この天空闘技場において、ヒソカから唯一ダウンを奪った男だ。だが天空闘技場で真剣に戦っているという時点で程度は知れているので、おそらく彼はヒソカの“青い果実”、そうでなくてもそれに近い存在なのだろう。
そんなカストロといよいよ戦えるとあれば、ヒソカはもっと嬉しがるはずだ。しかしヒソカは、ただ静かにそうだね、と言っただけだった。シロノだからこそわかることだが、あれは明らかにおかしい。
しかし、悶々とそんな事を考えているうちにとうとう夜が明けてしまい、そろそろ寝ようかな、とシロノはエレベーターに乗り込もうとした。
「──シロノ!」
だが扉が開いたその時、真っ正面に現れたのは、シロノと同じような白い銀髪を持つ少年だった。
「あ、キルア。……おはよ」
完全に昼夜が逆転した生活を送るシロノにはあまり馴染みのない挨拶、それなりに朗らかにしたつもりだったが、しかしそれに反して、キルアの表情は険しかった。
「お前、あれどーやったんだよ」
「あれって?」
「……昨日の試合だよ!」
「うっ」
急いた様子で、キルアが険しい声を飛ばす。興奮しているらしく、シロノが小さく呻いたことには気付かなかった。
「なあ、あれ念にしたって全然──」
「ちょ、やめてキルアヨダレ出そう」
「……はあ?」
口元を押さえ、キルアがそれ以上詰め寄ってくるのを制したシロノに、キルアはわけがわからず眉を顰める。
しかしシロノにとって今の状況は、夜中に最高潮に小腹が空いている時に、ものすごく美味しそうな高カロリー料理を目の前にドンと出されたような状況に近い。しかもその料理は、絶対に食べてはいけないという指示がついているときた。
「本気で辛いんだけど……なにこの拷問……」
「何の話だよ」
もちろんだが意味が分かっていないキルアは、訝しげに眉をひそめる。しかしふと思い立ったというように表情を変えると、言った。
「ってか、お前ここにいるってことはヒソカの試合観に来たのか?」
「へ?」
キルアの問いに、シロノはきょとんとした。だが昨日の夜からずっと起きているということを知らなければ、この盛況である、当然このメインイベントを観に来たと思われるだろう。
「いや、あたしチケットないし……」
「ああ、人気だったからな。優先チケットでもギリギリだったみたいだし──あ、そうだ」
ポン、と手を叩いたキルアに、シロノは首を傾げる。
「オレ、ゴンが行けなくなったチケット持ってんだよ。これ買わねえ?」
「え」
「今から転売すんのもめんどくせーしさ、かといって捨てるのも癪だし。だって15万だぜ!?」
安くしとくからさ、とダフ屋のようなことを言うキルアに、シロノは迷った。
アンデッドになってからというもの、シロノは極力ヒソカが戦闘をしている時に近寄らないようにしていた。ああして“円”を広げられるだけでも匂いで悶絶するというのに、近距離で全力の“練”でもされようものなら気絶もしかねないからだ。
しかし試合を見に行くということは、その危険をあえて被る、ということである。
「う〜ん……」
シロノは悩んだ。観戦自体は、得意の“絶”を使えばチケットなしで観客席に忍び込むことなど造作もないことなので、別にどうとでもなる。問題はヒソカのオーラだ。とにかく、ヒソカのあ(・)の(・)匂(・)い(・)を延々嗅ぐというのはかなり遠慮したい。だが、昨夜のヒソカの様子も気にかかる。
そしてシロノは、ちらりとキルアを見上げた。平均よりも背の低いシロノにとって、キルアもまたやや見上げなければいけないくらいの背丈の持ち主なのだ。
「……何だよ」
上目遣いでじっと自分を見て来るシロノに、キルアは居心地悪そうにたじろいだ。
相変わらず、シロノの鼻には、キルアのオーラの素晴らしい芳香がひっきりなしに届いている。今だって、うつむきつつも、何度も唾を飲みこんでいるのだ。
そしてシロノは、腹を決めた。
「……うん、キルアとなら平気かも」
「は? 何が」
「ぶっ倒れたら介抱してね! じゃ、行こ!」
シロノはキルアの腕を掴むと、試合一時間前だというのにかなりの人だかりになっている闘技場へ向かって、ずんずんと足を進めた。
よくわからない行動の果てにいきなり腕を取られたキルアは目を白黒させたが、すぐに我に返ると、シロノに引っ張られない歩幅を保つ。
……だが腕を掴む手を振り払うタイミングは、とうとう席に着くまで掴めなかった。