No.016/コール アンド ブラックジョーク
「しかしまあ元気になっとったから大丈夫じゃとは思うが」
「……ヴァンパイアは自分自身のオーラの量は極端に少ない、とか言ってなかった?」
マチが眉を顰めたまま聞くと、ネテロは頷いた。
「うむ。ヴァンパイアになったシロノは生き返った時、極端にオーラの量が少なくなっとった。よくわからんのだが、ヴァンパイアたちはオーラが足りなくなると、空腹感に似た一種の飢餓感を感じるらしい。生き返るなりオーラ不足で息も絶え絶えな状態じゃったシロノは、その飢餓感に任せるままに、こっちの美食ハンター二人のオーラをギリギリまで吸って元気になった、というわけじゃ」
「……その二人の?」
クロロたち四人全員が、メンチとブハラを見た。二人はビクっと身を竦ませるが、その視線に先程までの様な凄まじい殺気はない。
「そ。おかげで見ての通りフラフラじゃ。言うておくが、その時のシロノは無敵のヴァンパイアどころか、最低限のオーラしか持っとらん上に胸に大穴、生まれたての子猫より弱っちい状態じゃった。それで美食ハンターとはいえ一ツ星の彼らのオーラを吸うことが出来たのは、ひとえにこの二人の素晴らしいプロハンター根性にある」
──腹を空かせた子供一人満足させてやれず、何が美食ハンターか。
血塗れゾンビ状態で生き返ったシロノにビビリながらもそう居直ったメンチは、何をされるのかもわからないまま、シロノに身を差し出した。そしてギリギリまでオーラを吸わせ、そんな彼女の姿に覚悟を決めたブハラもまた、同じようにオーラを差し出したのだ、とネテロは二人を大いに褒めながら説明した。
「その甲斐あって、シロノはアンデッド特有の素晴らしい自己回復能力を発動させることができた。心臓を己で修復、再生。胸の大穴その他の傷は全て完治」
「ほお?」
「そのあとこっちに居る遺跡ハンターのサトツのオーラも多少吸って、すっかり元通りになっとった。胸に大穴あいとったというのに、跡も残っとらんかったよ。一応医者にも見せたが、全くもって健康体、だそうじゃ」
「……本当か?」
「どうぞ」
ノブナガが訝しげな顔をすると、サトツが医者の診断書を出してきた。
「しかしこんなものより、本人に確認した方が早いのではないですか?」
「なに?」
「荷物は全て放り投げて出て行ってしまいましたが、携帯は持っていったようですよ。かけてみては?」
あっさりとそう言われ、団員達が顔を見合わせる。
「……シャル」
「……うん」
クロロに言われ、シャルナークが携帯を取り出し、いくつかのボタンをプッシュする。半信半疑の強い緊張感が漂う中、長いコール音がぷつりと途切れた。シャルナークが、恐る恐る声を出す。
「──シロ……?」
《あ、シャル兄? よかったー、パパかと思った》
聞き慣れた能天気な声は、思わず聴覚を強化していた全員にはっきりと聞こえた。
「……シロ、生きてるの?」
《生きてるよ?》
あっけらかんとした返答だったが、シャルナークは緊張感を緩めず、念のため言った。
「そう。……ああそうだ、前美味しいって言ってた店のゼリーだけど」
《ゼリーじゃなくてプリンだよ。カラメルと生クリームたっぷりのやつ》
「俺のパソコンのデスクトップの壁紙は?」
《前に街で撮った子猫の写真。パク姉と出掛けた時に撮って、かわいかったからシャル兄にあげたでしょ》
「……本物、だと思う」
「代われ!」
隣でじっと声を聞いていたノブナガが、シャルナークから電話をひったくった。
「おいシロ! お前今どこに居る!?」
《わ、ノブ兄? どしたの》
「どしたの、じゃねえよお前! あーもー生きてんな!? 無事だな!? ボケが!」
《ボケって……》
「ボケはボケだ! あーくっそビビらせてんじゃねーよボケ!」
「代わって」
今度はマチが電話を取った。
「──シロノ?」
《マチ姉? あっゴメン、服でっかい穴……、ジャケットは破れてないんだけど血塗れになっちゃった。洗ったら落ちるかなあ》
「………………ほんとに生きてんだね。……いいよ、新しく作ったげるから」
フ──……と、マチの身体から緊張が抜けた。
「……色々あったみたいだけど、生きてるんだね」
《マチ姉……もう知ってるの?》
「うん」
《そっか。ありがとう》
「いいよ。じゃあ団長に代わるから」
《いや──!》
それが一番イヤ──! という声が、聴力を強化しなくても携帯から聞こえた。しかしマチはそれを無視し、ソファに座るクロロに携帯を渡した。
「もしもし。生きてるようだなこの落第者」
《ご、ごめんなさい……》
受話器越しのシロノの声は、気の毒なほど震えていた。
《……あのね、あの、パパ、読書感想文なんだけ》
「ああ、帰って来たら書かせるから。あと訓練五倍」
ぎゃー、という悲痛な叫びが聞こえた。ちなみに、世界名作全集は既に購入済みである。
「……で? 今どこにいるんだ、お前」
《えっとね、パドキア。シルバおじさんち》
「は? なんでゾルディックなんかにいるんだ?」
ゾルディック、という言葉を聞いて、団員三人がどうしたのか、という顔をする。シロノは試験にシルバの長男と三男が参加していたこと、また親しくなったこと、三男にすぐ伝えたいことがあったのでここに来たことなどを話した。
「試験に参加していた十二歳の少年というのは、ゾルディックの三男だったのか?」
《そうだよ。キルアっていうの》
「長男というのはイルミか」
《あれ? パパ、イルミちゃんと知り合い?》
イルミちゃんて! とシャルナークが思わず言った。
相変わらずものすごい人間をものすごい呼び方で呼ぶなあ、と呆れと感心が混ざった声で言いながら、彼は乾いた笑いとともに溜め息をつく。ちなみにイルミは、ヒソカが入団して半年くらいあとくらいから仕事の関係で連絡を取るようになっている。
《ってか、イルミちゃんにも用あるんだよね》
「お前が? イルミに?」
《えっと……あたしが生き返ったのは知ってるよね、パパ》
ああ、とクロロは頷いた。そして今さらであるが、ハンター教会が運営するホテルに遺体を引き取りにきて、ネテロにお前についての説明を受けた、とも。
《じゃ、ネテロさんから全部聞いてるんだね。あたしもネテロさんから説明してもらったんだ。ちょっとびっくりしたけど、ママからほんのちょっとは聞いてたし。今まで全然意味わかってなかったんだけどね》
「そうか」
《ねえ、そこにメンチさんていう人居る? 美食ハンターの女の人》
クロロはそう言われ、対面にいるメンチをちらりと見た。いきなりクロロから見られてメンチはビクッと肩を震わせ冷や汗をかいたが、クロロは彼女を確認しただけで、すぐ目線を外した。メンチは頭の上にクエスチョンマークを浮かべている。
《すっごい助けてもらったんだよ。あのね、あたし、生き返った時すごくおなか空いてたの。それでメンチさんがすごく美味しそうで、でもあたし全然力出なかったから、無理だろうなって思った。でもメンチさんが食べていいよって言ってくれた。あたし、あの時メンチさんがそう言ってじっとしててくれなかったら、また死んでたよ》
わかるもん、とシロノは言った。
《あたしもいっぱいお礼言ったけど、どうやって返したらいいかわかんないくらい。だからねパパ、特にメンチさんと、あとブハラさんとサトツさんね、オーラ貰ったの。殺気とかぶつけないでね》
「すまん、手遅れだ」
《え──ッ! パパのバカ! ばかー!》
ぎゃーぎゃー喚きだしたシロノの声が煩いのか、クロロは携帯電話を数秒耳から離した。
「わかったわかった。俺たちも礼を言っておく」
《うん、そうしてくれると嬉しいな。何もしないでね。約束してね》
「ああ。約束する」
あの日から、約束してね、と言って約束したことだけは、クロロは嘘をつかない。シロノはホっと安心して息をついた。
「それで、イルミに何の用なんだ?」
《えーとね、あたしを生き返らせたのイルミちゃんなんだよね》
その言葉に、クロロは少し目を見開く。
「イルミが?」
《うん。その前にもちょっとだけオーラが感じられたけど、あれ多分ヒーちゃんの》
「ああ、トランプか」
《そうそれ、多分ね。でもオーラが少なすぎたし、ちょっと撫でられた程度の感じはしたけど、すぐ意識沈んじゃったんだ。でもそのあとさあ、イルミちゃんがチューしてきたの》
「……は?」
クロロは、理解できないものを見る様な目をした。
《ヒーちゃんのトランプでほとんど寝てるけどうとうと、みたいな状態のところでイルミちゃんにチューされてオーラがぶわってきて、完全に起きた》
「……待て。お前その時死んでたんじゃなかったか」
《死んでたよ。よくわかんないけど、魂? みたいなのの状態での意識はあったけど、ていうか心臓なかったし、身体は完全に死んでた》
「でもキスされたのか」
《うん。起きれたから一応お礼言っとくかなあっていうのと、なんでチューなんかしたんだろうっていうの聞こうと思って。それが用》
シロノの第二の精孔が開いた原因は、殺人奇術師が残したハートの女王ではなく、殺し屋王子によるキスであったらしい。
しかしなるほど、触れるだけのそれだったとしても直接、しかも最も内部に影響しやすい口から直接吹き込む形になったそれは、僅かなオーラであっても効果は大きいだろう。
「あいつ、ロリコンの上に屍姦趣味(ネクロフィリア)か? 立派に変態だな、知らなかった」
《ロリコンはわかるけどネクロ……って何?》
「シルバ氏に聞け」
さらりと言ったクロロに、「うわーこの人あわよくば他人の家庭にでかい波紋呼び起こす気だよ」とシャルナークが乾いた笑いを浮かべた。
シロノはといえば「ブラコンなのは知ってるけどなあ」とかなんとか思っていたのだが、それは本人しか知らない。
その後クロロとシロノは何言かのやり取りを交わすと、電話を切った。
「……ねえ。ロリコンとか屍姦趣味(ネクロフィリア)とか不穏な単語が出てたんだけど」
訝しげな表情で聞いてくるマチに、クロロはシャルナークに携帯を返しながら「ああ」と相槌を打った。
「ロリコンの屍姦趣味(ネクロフィリア)にファーストキスを奪われたそうだ。赤飯を炊いてやれ」
「思いっきり変質者じゃねーか! 何が赤飯だ、塩撒け塩!」
ノブナガが、クロロが座っているソファの背をバンバンと平手で叩いた。
「まあとにかく、あいつは今パドキアのゾルディック家にいるそうだ。そのあと一度帰ってくると」
「そっか」
シャルナークが、殺気も何もない笑顔でにっこりと頷いた。今の彼を見て、彼がA級首の盗賊団の一員だと思うものはまず居ないだろう。そして部屋の中に渦巻いていた殺気がすっかりなくなったその時、ネテロが言う。
「……まあ、そんなわけじゃ。納得して頂けたかな?」
「ああ。……うちの者が世話になった。礼を言う。先程までの非礼についても謝罪しよう」
表情を和らげたクロロがそう言ったので、ネテロの後ろに立っていたハンター三人がやや驚いた表情を浮かべた。
「メンチさん、といったかな」
「はい!?」
名指しで呼ばれた上に微笑まれ、メンチは背筋を硬直させて、ひっくり返った声を出した。
「シロノがたいへん世話になったようだ。貴女がオーラを分け与えなかったら、生き返った早々死んでいたそうだからな。保護者として礼を言う。ありがとう」
「い、いいいいいいえ」
にっこりと美しく微笑まれても、先程までの魔王の様な殺気を思えば恐ろしいことこの上ない。というのも、後ろの三人のあからさまに渦巻く殺気よりも、地底の奥底で静かに沈殿する様なクロロの殺気は、何より最も恐ろしかった。見えない足の下で、どこまで広がっているのかわからない真っ黒なマグマがぐらぐらと、しかしゆったりと流動するあの恐怖は、一度味わったら一生忘れられまい。
「へえ、そうなんだ。それはお礼言わなきゃね」
「なかなか肝の据わった姉ちゃんだ。ウチのチビが世話になった。殺気飛ばして悪かったな」
「ありがとう」
すっかり殺気がなくなった三人がそう言うと、メンチは赤いのか青いのかよくわからない顔色の表情を引きつらせ、ブンブンと首を振った。
「ま、これで一件落着ってわけだ。人騒がせなガキだぜ」
「とにかく無事で良かったじゃないか。新しい能力にも目覚めたみたいだし」
息を吐いて肩を落とすノブナガに、マチが言った。あはは、とシャルナークが笑う。
「まったくだよ。シロノがいなくなったら誰が団長の面倒見るんだって話だもんね」
「おいシャル。逆だろう、俺があれの面倒を見てるんだ」
「シロノがいないと爪切り一つ探せないくせによく言うよ」
爪切り、というキーワードに、メンチとネテロはシロノの話が本当だったことを確信したが、メンチとしてはいまいち実感がない。この美しき闇の魔王の様な男から、娘が居ないと爪切りも探せないとか、掃除が壊滅的に下手だとか、あろうことかリビングのゴミバコに生ゴミを捨てた挙げ句に小バエが発生して文句をたれる様な生活感など全く感じられなかったからだ。
しかしクロロはシャルナークの言葉に全く言い返せず、無言で彼から目を逸らした。ということは、あれは全て本当らしい。
「……うん? もしかして、お主は十期前のハンターライセンス保持者だったかの?」
「え、俺のこと覚えてるんですか?」
ネテロがふと言ったそれに、シャルナークが驚きと呆れが混じった声で答える。
「少々印象的だったもんでな。大きくなったもんじゃ」
「はあ、どうも……。あっそうだ、俺、外でみんなにシロノの無事を知らせてくる」
「そうしてやれ。心配してピリピリしてるだろうからな」
というのも、ここについてきているのは三人だが、実は結局他のメンバーも「何かあったときのための援護」という名目で、ホテル周辺にそれぞれ待機しているのだ。フィンクスあたりは今頃イライラが最高潮に達しているに違いないし、フェイタンなど、路地裏で何人かを通り魔的に拷問していてもおかしくない。
「了解。んじゃネテロ会長、俺はお先に失礼しますね」
にっこりと笑って、シャルナークは携帯のボタンを押しながら部屋から出て行った。
そのあとネテロとクロロはアンデッドについての質問と応答を繰り返し、また試験中のシロノの様子など話し、まるで学校の保護者面談の様な雰囲気のまま、席を立った。
「ではな、何のお構いもせんで」
「いや、こっちこそ何の手土産も持たず失礼した」
手土産って何だ、盗品か。美食ハンター二人はそんな突っ込みを心の中に抱いたが、命が惜しいので黙っておいた。
「むしろ俺の方が色々と貰ってしまったな。いい資料だ、この短期間で集めたとは思えん」
今ノブナガが背負っている白い棺桶の中には、アンデッドに関する文献が詰められている。
シロノが置きっぱなしにしたそれの中には、鎖が千切れた“朱の海”も入っていて、今はクロロの指に嵌められている。「帰ったら色々聞くことがある」とクロロが指輪に向かってひっそりと呟けば、むっとしたような複雑なオーラが青と赤の宝石から漏れた。
「なあに、こちとらハンターじゃ。欲しいものを集めるのが仕事じゃよ。財宝然り、文化物然り、生き物然り、美味いもの然り」
ネテロがそう言うと、クロロは目を細めて笑った。
「……賞金首然り?」
「わはははは!」
いま世界で最も危険と言われている賞金首の首領と、それを捕まえるハンターの長は、そう言っておおいに笑いあった。ホテルのロビー、しかもハンター教会が運営するそこに、そんな二人の笑い声が響く。
「しかしお主らも腹が据わっとるの〜、ハンターの巣窟に来るか普通」
「ハンターが怖くて盗賊が出来ると思うか? まあ、戦いになったらなったで困るんだが」
「ほほう?」
「敵が全員プロハンターだなんて、うちの連中涙流して喜ぶに決まってる。いくら俺でも、そこまではしゃいだあいつらを締める自信はないな」
──こんなブラック極まりないジョーク、目の前で聞きたくない。
目の前で大笑いする二人に対して全く笑えていないハンター三人は、心の底からそう思った。胃が痛い、とやや顔を青くしたブハラが胸の下を押さえている。
「ま、今回はハンターと賞金首ではなく、試験官と保護者としての面談じゃからな。次はそうもいかんかもしれんが」
「ああ、理解している。……では失礼、ハンターさん達」
また縁があれば、と言って、蜘蛛の首領はファーのついた黒のロングコートを翻した。
逆十字のマークが遠ざかって見えなくなってから、メンチが、ドサリ、とロビーの椅子に倒れ込むように腰掛けた。
「……冗談。A級首な上に生ゴミをリビングのゴミバコに捨てるような男なんて、二度と会いたくないわ」