変身術と魔法の呪文
「できた!」
「──待て。日本語でもいいのか?」

 さんざん発音に苦労していた弦一郎が、身を乗り出した。
 ちなみに弦一郎は、杖ではなくマッチ棒が変化するようにはなったものの、棒手裏剣やら寸鉄やらとやはり“近い形状の武器類”、もしくは紅梅と同じように黒文字や爪楊枝、釘や昆虫採集用の虫ピンなどにしかできていない。
 とはいっても、殆どの生徒は杖もマッチ棒も全く変化していないので、それよりは、おそらくまだマシな方なのだが。

「へぇ、そおみたいどすなあ。おばあはんは、日本語で魔法使わはるし」
「──なるほど」

 蓮二が、重い声で言った。開眼している。

「呪文は、魔法の発動キーだ。練ったイメージと魔力を、これだと固めて放出するスイッチ、いやトリガーのようなもの。きちんとトリガーがはたらいていないと、せっかく練ったイメージも魔力もあやふやになってしまうので、発音はきちんと、と言われているのだが──」
「へぇ。それやったら、“きちんと発音できる”日本語でもええんよ」
「……それは、紅椿どのの研究の成果か?」
「研究?」

 反応したのは、未だ杖もマッチ棒も全く何にも変化させられていない国光である。
 蓮二は、開眼したまま頷いた。

「そう。お梅の御祖母様の紅椿殿は、ホグワーツ在学中、変身術と呪文学を研究し、たいへん画期的な発見を幾つかなさったそうなのだが──」
「字ぃ書くの好かんし、自分がわかっとって使えたらええ言うて、なーんも残しとおへんの」

 しゃあないわぁ、と、紅梅は慣れた様子で肩を竦めた。

「あとは、やっぱりイメージやねえ。言霊てあるし」
「……なるほど。意味もニュアンスも完全に理解している日本語に比べ、母国語ではない英語の呪文──今回のようにラテン語由来の不慣れな呪文では、言霊、意志が宿らず呪文としての役目を完全に果たさない、というわけか」
「さすが蓮ちゃんやなあ」

 一を言えば百ぐらいは理解する蓮二に、紅梅は感心して頷き、「そのとおりや」と肯定した。

「そやし、この呪文、ラテン語やったん?」
「ああ。こちらの呪文は英単語そのもののタイプ──これは比較的、簡単な効果のものが多いな。それと、複数の語のそれぞれの一部を組み合わせて作られた、いわゆる『かばん語』と言われる造語的なもの、これは近代呪文が多い。そして歴史の古いものはラテン語由来、といった風にだいたい分類できるな。例外もあるが」
「ラテン語だと、どういう意味なんだ?」

 国光が尋ねた。

「そのままだ。変形、形が変わる、という意味」
「あ! できた!」

 清純が、喜色の篭った声を上げた。
 見れば確かに、彼の派手なストライプ模様の杖の先にあったマッチ棒は、マッチの先の頭薬と同じ、赤色の玉のついたまち針に変化している。

「呪文の意味を理解した途端に、きちんと発動したみたい。あと、梅ちゃんが日本語でもいいって言った時に、“マッチ”棒と“まち”針ってちょっと似てるよなー、赤い玉もついてるしなー、って思ったら……」
「興味深いな……。完全に“言霊”の概念が適応されているが、これは魔法全体に言えることなのか、それとも我々日本の魔法使いにのみ適応される現象なのか……」
「柳くん、めっちゃ目開いてるね?」

 まち針をガン見している蓮二に、清純がアハハと呑気に笑う。
 ちなみに、蓮二の横では、貞治が「糸を通す穴は何ミリ……いやこの数値だと強度が……」とぶつぶつ言っている。

「あ、そういえば、列車の中でも似たようなことがあったね」
「似たような事、とは?」
「実はさあ……」

 興味津々で食いついてくる蓮二に、清純は、ホグワーツ特急の中で、ロンのネズミ・スキャバーズを黄色にした話をした。

「呪文は確か、“お陽さま、雛菊、溶ろけたバター。デブで間抜けなねずみを黄色に変えよ”だったんだけど」
「そんな呪文はないぞ」
「薄々思ってたけど、やっぱり? でもばっちり黄色になったよ。テニスボールみたいな、キンッキンの黄色だった」
「興味深い──実に。今度、ウィーズリーにそのネズミを見せてもらおう」
「柳くん、えらい食いつくねえ」

 清純が言うと、蓮二は「いや」と、少し照れくさそうに微笑んだ。

「実は──、貞治は見ての通り理系一直線なのだが、俺はどちらかというと文系でな。数値もいいが、理論や文学的なものにより興味がある」
 だから普段はそれぞれ別の切り口の得意分野から一つのものを研究し、多角的な結果を出す、という研究方法をしているのだが、と、蓮二は未だがりがりやっている貞治を、ちらりと見た。

「なので、個人的に、紅椿殿の研究には、非常に興味があるのだが──」
「……うちが知っとぉことでよろしおしたら」

 開眼した切れ長の目で見られた紅梅は、少しびくっとしてから、しかしすぐに落ち着いて、微笑んで言った。
 すると蓮二も、嬉しそうな顔で微笑み、「ありがとう、お梅。非常に助かる」と頷く。そうしていると、二人共兄妹なのではないかというほど、雰囲気がよく似ていた。

「非常に興味深い話をしていますね」

 いつの間にか、マクゴナガルが側に立っていた。
 さんざん勝手にしゃべっていたので一瞬叱られるのかと思ったが、彼女は本当に興味深そうな顔をしているだけだ。どうやら、授業に集中してさえいれば、そのための会話は容認する意向のようである。

「それについては、ぜひ私にも声をかけていただきたいものです、ミス・ウエスギ、ミスター・ヤナギ」
「へぇ、それはもう、ぜひ」
「変身術のプロを交えての、かの紅椿殿の説の論議ですか。これは貴重な機会」

 蓮二は非常に楽しそうだ。ホグワーツに来た甲斐があった、とまで頷いている。

「ですが、ミス・ウエスギ。せっかくホグワーツに来ているのです。ラテン語の呪文での発動、また杖を対象物に触れさせずに発動できるようにもしなければ。まずは、杖を離すところからおやりなさい。それができたら、ラテン語の呪文を。ひとつずつクリアしていけば、きっとできるはずです」
「へぇ、おおきに、マクゴナガルせんせ」

 的確、かつ親身なアドバイスをしてくれたマクゴナガルに紅梅はにっこりし、指示通り、机の上に置いたマッチ棒に魔法をかける練習を始めた。

「──“ミュータシオ・フィグラ”!!」

 弦一郎が、強い声を上げた。杖の先は最初からマッチ棒に接触してあり、発音もずいぶん良くなっている。
 そのおかげか、マッチ棒は見事に変化した──が、それは形状自体は針のようでもやけに大きく、つまり、どう見ても棒手裏剣か寸鉄である。
 弦一郎は苦い顔をし、もう一度気を取り直すと、目を閉じた。イメージを固めているのだろう。

「ぬう……“針になれ”!」

 今度は、日本語。
 すると今度は、より先の尖った、見事に刃先が研がれた、見るからに対象物を貫通しそうな棒手裏剣か寸鉄になった。魔法の精度は、確実に上がっている。……明後日の方向に。
 それにしても、杖の時と引き続き、非常に物騒である。

「なぜどうしても武器になるのか……!」
「ふぅむ。弦一郎は、明らかにイメージの問題だな」
 魔力は正しく対象物に注がれ、呪文の発音も悪くはない。ならば原因は、針、というもののイメージがちゃんとできていないからだ、と蓮二は断言した。
「そのため、弦一郎がよく知るものの中で、針に近いものに変化するのだろう」
「むぅ……。杖の時と全く同じだな」
 弦一郎は、苦い顔をした。

「……そやけど、弦ちゃん」
 紅梅が、口を挟んだ。
「弦ちゃん、お裁縫の針持ったことあるのん?」
「う」

 弦一郎が、ぎくりとした。図星である。
 日本の小学校での家庭科の授業に針を持つものもあるが、実はぎりぎりで夏休み後から始まる予定だったため、弦一郎は針を持ったことがない。

「うちは、お裁縫よぅするよって。和裁やけど」
「なるほど。確かに、お梅の変えた針は和裁用だな」
 蓮二が頷いた。彼自身は裁縫が得意なわけではないが、神奈川に住んでいる祖母の趣味が洋裁で、手芸作品の個展を開くレベルなので、こういった道具はかなり見慣れている、との事だった。
「俺も、ボタン付けぐらいなら出来るよん」
 清純が言う。

「貞治、……は、ともかく──」
 蓮二は、隣でまだぶつぶつ、がりがりやっている貞治をちらっと見た。彼の場合、実物を知っていても、数値で理解ができていなければイメージも固まらないのだろう。

「手塚。あまりうまく行っていないようだが、針を持ったことは?」
「……ない」

 魔力の方向も、発音も完璧であるのに全くマッチ棒が反応しない国光は、ひどく深刻そうに答えた。
 国光の母・彩菜はとても家庭的な人で、炊事洗濯裁縫、完璧にこなす。そして完璧にこなすゆえに他の家族がそれをする必要がなく、そして国光も、やってみようと思ったことすらなかった。

「さっきから思てたんどすけど、上手くいっとぉへんお人らァは、単に針持ったことおへんのやない? 上手くいっとるの、女ん子ばっかりやし」
 紅梅の言葉に、ふと、日本人ら全員が教室を見渡す。すると確かに、マッチ棒を針に変身させることに成功したのは、女子生徒が明らかに多い。
「あんお人らァは、普段から、お母はんのお手伝いとかしとるんとちゃうやろか」
「だろうね〜。さっき柳君の次に成功させたあの子なんか、刺繍が趣味だって言ってたもん」
 清純が、一緒に教室にやってきた女子生徒のうち一人を示して言う。

「……そういえば」

 国光が、ぼそりと言った。

「朝練の時、ラケットを杖に変えるときも、俺は見慣れない“杖”のイメージがうまくいかず……。結局、紫乃の杖をもう片方の手に持って、これになれ、と念じることで成功させたのだが」
「あー、だから杖がおそろいみたいなんだ?」
 隣の清純が、国光の杖を見ながら言う。

「ああ。……だから、見本があれば出来るかも……」
「やってみる?」
 清純が、はい、と、国光にまち針を示す。国光は頷いた。
 そして杖の時と同じように、左手に杖、右手に針を持つ。針を良く見て、自分の中にある曖昧なうろ覚えの“針”のイメージではなく、いま目の前にある現物のイメージを魔力に乗せ、そのまま対象物にぶつけるイメージをした。

「──“mutatio figura”

 理想的な杖の振りと、見事な発音。
 そしてイメージの代わりに現物を用いることによって、初めて、国光の魔法は発動した。しかも、これ以上なく完璧に。
 今まで誰よりもまったく反応しなかった国光の机の上のマッチ棒が、見事に、清純が変えたまち針と、寸分違わず同じものになった。

「おお、成功した!」
 やったね手塚くん、と清純が微笑むと、国光はやっと安心したような顔をし、まち針を清純に返した。
「ああ、ありがとう。……しかし、現物がなければいけないというのでは話にならないからな。コツは掴んだので、油断せずに行こう」
 そう言って、国光は今度は予備のマッチ棒を右手に持ち、もう一度呪文を唱える。するとまち針がマッチ棒に戻ったので、国光は現物に頼らず魔法を使うため、イメージを固める集中をし始めた。

「弦ちゃんもやってみる?」
「うむ……」

 紅梅が、針を弦一郎に渡す。
 弦一郎は難しい顔でそれを受け取ると、国光と同じように、片手に杖もとい十手、もう片手に紅梅の針を持ち、意識を集中させた。

「最初は、日本語からのほうがええやろか?」
「うむ。──“針になれ”!」
「……うぅん、布団針にしても厳ついなぁ」

 弦一郎が変えたのは、確かに針だ。針だが、一体何に使うんだ、というぐらい大きい。紅梅の針を、そのまま数倍に大きくしたような感じだ。
 そして大きすぎて、布どころか、革を縫うにも使えるかどうか怪しかった。そして針として使えないならば、もはや単なる凶器である。

「手塚は想像力がないため、現物がないと全く魔法が発動せず、しかし現物さえあれば、ストレートにそれをイメージ変換させることが出来る。弦一郎は想像力はあるのでイメージさえ固まっていれば多彩なものに変化ができるが、やや我が強すぎて応用が効かない、といったところか」

 蓮二が、冷静に分析する。紅梅と清純が、なるほど、と頷いているが、とうとう日本人組の中で魔法を成功させられていないのが貞治と自分だけになってしまったので、弦一郎は非常に焦った。

「魔法に必要なのは、イメージ、魔力、呪文。魔力は皆あるし、呪文は意味を調べて理解し、発音を練習すればいいが、──イメージ、というのが、なかなか難しいようだな」
「そぉどすなぁ。そん人によって、持っとる経験も違わはるし」
「それまでの人生経験がものを言う、というわけか。いかに今まで得意なものばかりに徹してきたり、興味のないことを無視したり、苦手なものを避けてきたりしたか、というのがありありと現れるな。……奥深い」

 蓮二の発言に、ぐぅ、と弦一郎が潰れたような声を出した。国光もまた、「もっと母の手伝いをしておくべきだったか……」と呻いている。



 その後、授業時間が終わる頃になって、計算式を完成させた貞治が、見事にマッチ棒を針に変化させた。
 しかも、マッチ箱の中身をすべて次々針にしたが、どれも皆、まるで工場で作ったかのように同じものであった。マッチ棒に戻すときも、同様である。
 イメージだの何だのを全く無視し、完全に独自の方法で結果を手に入れた貞治に、皆は呆れと感嘆を抱き、そして当人は非常にいい仕事をしたと言わんばかりのイイ顔をしていた。

「……ミスター・イヌイ。ミスター・ヤナギもそうですが、あなたがたはもはや勉強ではなく、研究の域にいるようですね」

 マクゴナガルはそう言って苦笑すると、課題を成功させた生徒、できなかった生徒の顔を見渡した。

 ──ちなみに、弦一郎は凶器もどきの針から脱出できず、国光もまた、やはり見本を見ないと呪文が発動しないままだった。
 紅梅は日本語でなら完璧に魔法が使えるが、ラテン語だと、何とか発動はしても、明らかに精度が低い出来。清純はマグル出身ながら、まち針の上の飾りをかわいいモチーフにし、女子の気を引くまでの余裕があった。

「さて、そろそろ時間です。日本人留学生の方々のお陰で、たいへん実りの多い授業ができて、非常に嬉しく思います。ミスター・ヤナギのアドバイスで魔法を成功させた人は、特にそれを強く感じているでしょう」

 何人かの生徒が、深く頷いた。
 マクゴナガルもまた、微笑む。間違いなく、ここ数年で最も濃厚で充実した授業だった、と彼女は断言できた。魔法を成功させた生徒も、とても多い。

「私も、多く得るものがありました。ぜひ、これからの授業に活かそうと思います。──では最後に、次の授業までにやってくる課題について。メモを取りなさい」
 皆、すばやく杖を置き、ペンを手に取った。

「まずはレポート。今回の授業のレポートとともに、呪文“mutatio figura”の語源を調べてくるように。彼らの言うとおり、これはラテン語由来です。またラテン語は歴史が古く、これ自体がまた違う言葉の合成語であることも多くあります。それを調べ、理解すれば、発動する魔法もより効果の高いものとなります。本来は研究畑の方のやる専門的な知識ですが、かじっておくだけでもずいぶん違うでしょう。今日、それがここで証明されました」

 マクゴナガルは、満足そうに微笑んだ。

「次に、イメージの訓練です。……あなたがたに“針”のイメージが固まっていなかったのは、正直言って予想外でした。私があなたがたくらいの年齢の頃は、母からいくらかの裁縫を習っていたものですが……」
 いまどきの子はそうではないのですね、と言って、マクゴナガルは、苦笑とも、呆れとも、嘆きとも言えぬ、複雑な表情をした。その発想はなかった、とでも言わんばかりの顔である。

「あって困るものでもありませんし、次の授業までに、成功させた人は一枚、できなかった人は三枚、雑巾を縫っていらっしゃい。材料、道具がない人は、帰り際にこの紙に名前を書いて帰ること。あとで支給いたします。やり方は知っている人に聞くか、図書室のマグル学の棚にある、『はじめての縫い物』を参考にするように。──次の授業では、全員この魔法を成功させることを望みます。では、解散!」

 たっぷり課題を出したマクゴナガルは、そうして授業を終了させた。






 そして、その日の夕食後。
 それぞれの寮の談話室で、主に女の子たちに指導されながら、四苦八苦して雑巾を縫う生徒たちの姿が目撃されたのだった。
“mutatio figura”は原作にない呪文ですが、ハリポタの呪文は作中通り、英単語そのまま・かばん語・ラテン語由来 に別れるようなので、ラテン語そのまま持ってきました。