Prologue2
 ある少女に出会ってから、真田弦一郎に手紙が届くのは、全く珍しいことではない。
 京都に住む彼女からは、少なくとも月に二回は手紙が届くし、弦一郎も、それと同じだけ返事を書いている。

 だがイギリスから、英語の、しかも今どき羊皮紙の封書が届くなど、弦一郎は想像もしていなかったし、ましてやそれを大きなふくろうが届けに来るということも、そしてその内容が『ホグワーツ魔法魔術学校』の入学許可証であったということも、青天の霹靂であった。

 更には先日亡くなった自分の祖母が実は魔女で、だから己はその血を引いて魔力があるということを祖父ら家族から聞いたが、祖母が魔女であったということについては、弦一郎にも心当たりがたくさんあった。
 料理をつくる時、「おいしくなる呪文」と言って鍋に向かってなにやらぶつぶつ言っていたり、運んだ様子もないのに食器が食器棚に片付けられていたり。
 不思議な事だが、自分の祖母がやることが怪しい物のはずがない、と頭から思っている弦一郎は、手際がいいことだと感心こそすれ、訝しげに感じたりしたことはほとんどなかったが、魔法だったと聞いて納得した。

 だがしかし、この間からテニスボールでコートを抉ったり、ダッシュの勢い余って金網を突き抜けた挙句にぴんぴんしていたり、ボールの摩擦熱でネットを燃やしたりしていたのが、制御しきれぬ己の魔力のせいだというのには、少なからずがっかりした。
 てっきり己の修業の成果だと思っていたのに、そうではなかったのだ。だが、
(魔力とやらに頼らず出来るようにならねば)
 と、気持ちを新たにするきっかけになったので、それはそれでよし、と弦一郎なりにポジティブに捉え直した。

 そしてこの度、願書を出してもいない入学許可証が届いたホグワーツ魔法魔術学校というのは、イギリス・スコットランドにある学校で、先日亡くなった祖母・佐和子の母校であり、また、文通相手の少女、紅梅の祖母の母校でもあるという。

 要するに紅梅の祖母、紅椿も魔女であるというのが発覚したわけだが、このことについては、弦一郎は全く驚かなかった。
 というより、「ああやっぱり」という気持ち──、いや、むしろ、人間の範疇であったのか、という驚きのほうが大きかった。紅椿、彼女のことを知っている者なら、だれでも弦一郎のように思うだろう。然もあらん。

 そして肝心の入学についてだが、目覚めた魔力をきちんと扱えるように、訓練が必要であるということは、弦一郎にも理解できた。
 なんといっても、実際、コートを抉ったり、ボールを破裂させたりが最近ひどいのだ。このままだと、プレーに問題があるとして、退場や棄権などを余儀なくされることが出てくるかもしれない。一心不乱にテニスの高みを目指す弦一郎にとって、何よりの死活問題である。

 しかし、マグル──魔力を持たない人々のことをこう呼ぶと、弦一郎は初めて聞いた──の世界では、イギリスはテニスが非常に活発な国であるが、魔法使いはテニスをしないらしい。いや、むしろ、テニスというスポーツの存在自体を知らないのが普通らしい。
 世界で最も人気のあるスポーツと言っても過言ではないテニスを全く知らない人々とは、と、弦一郎は気が遠くなった。
 魔法族という人々は、とんでもない僻地で固まって暮らす、独自の文化を持つ人々である、と弦一郎は理解した。

 ともあれ、つまり、魔法魔術学校に行っている間、弦一郎はテニスが一切できなくなる。そして魔法魔術学校は、七年制の寄宿学校。卒業する時、弦一郎は十八歳。

 ──冗談じゃない。

 それを聞いた時、弦一郎は思わず立ち上がって、そう叫んだ。

 弦一郎は小学校を卒業したら、腐れ縁の友人である幸村精市とともに、テニスの名門である立海大附属中学校へ入学することを、殆ど決めていた。

 弦一郎は祖母の血を引いて魔力があるが、他の家族に魔力持ちはいない。母の鉄拳の威力や父や兄の何でもお見通しな眼力に魔力の有無を怪しんではいるが、魔法魔術学校に行った者はおらず、きちんとした魔力の制御を習うことは出来ない。
 だから、この先ちゃんとテニスが出来るように、魔力を扱えるようになるためには、魔法魔術学校に行かねばならない。しかし魔法魔術学校に行けば、七年間、全くテニスができなくなる。
 更に、七年もテニスをしていない者が、キャリア面、実力面ともに、そこからトップに這い上がるのは不可能に近い。

 魔力を扱えるようにならねばまともにテニスが出来ず、しかし学校に行けばテニス生命が絶たれる。

 まさに、あちらを立てればこちらが立たず。ジレンマ。

 誰に相談することも出来ず、今まで生きてきた中で最大の悩みにぶち当たった弦一郎は、胃と脳みそが破裂しそうなほどウンウン悩んだ挙句、いつも通りに手紙を書いた。

 宛名は、もちろん京都。上杉紅梅宛である。

 祖母が魔女である彼女なら魔法の話をしても受け入れてくれるだろうし、よしんば知らなかったとしても、紅椿が魔女であることに納得こそすれ、驚きなどしないだろう、と勝手に確信したのである。
 あまりにも悩んでてんぱっていた、というのもあるだろう。ほとんど殴り書きに近い、泣きつくような文面で、弦一郎は紅梅に手紙を出した。

 そして二日も経たぬうちに、紅梅から手紙が届いた。
 しかも、いつもの郵便ではない。──ふくろうで。

弦ちゃんへ

こんにちは。
実は、佐和子お祖母様が魔女であることは、お祖母様から聞いて、前から存じておりました。
でも、弦ちゃんに魔力があったのは、知りませんでした。だからいま、とてもびっくりしています。

実は私にも先日魔力があることがわかり、入学許可証も届きました。
でも私にはお舞や三味線などのお稽古事がたくさんありますし、イギリス、しかも魔法界で、それらが満足にできるとはとても思えません。
七年通えば、私も十八歳で、舞妓になるには少し遅くなるので、お母はんが強く反対しています。

でも私も弦ちゃんのように魔力を暴走させる時が時々あって、そのためには、学校に行ったほうがいいそうです。
でもやっぱり七年通うのも無理、とお祖母はんに相談したら、魔力を暴走させずにマグルの世界でやっていけるようになるには、一年生と二年生の基礎科目さえちゃんとこなせば、なんとかなるそうです。
三年生からは専門科目をそれぞれ選択して勉強するそうで、これらはずっと魔法界でやっていくならともかく、マグルの世界では全く必要のないものだそうです。
ホグワーツを実際に卒業したお祖母はんが言うのですから、間違いありません。
そこで、入学してからの二年間で魔法の基礎を学び、三年生になる前に退学する、というのではどうでしょうか。
そうすれば、ちょうど中学校に入る歳になり、ぎりぎりですが、立海大附属中学に入学することが出来ます。

ホグワーツ、アルバス・ダンブルドア校長先生の目的は、世界で一番マグルと上手くやっている日本の魔法使いとの交流と、日本の文化とヨーロッパの文化を触れ合わせることにあるそうです。

だから、マグルの人気スポーツであるテニスにもきっと興味を持たれるかと思うので、「テニスが出来ないなら入学しないが、テニスが出来るなら入学を考えたい」という返事をしてはいかがでしょうか。
イギリス自体はウィンブルドンなどテニスの本場なので、もしかしたら、きれいなグラスコートを用意してくださるかも、というのは、期待し過ぎでしょうか。

私も七年通うことは出来ないので、その事情を説明し、また、お祖母はんからも口添えしてもらいます。
その時、テニスのことも、少し書いてもらうようにお願いしておきました。お祖母はんはダンブルドア校長の同級生なので、いくらか融通がきくはずです。
お祖母はんによると、これで十中八九うまくいくそうですが、もし受け入れられなかった場合、魔法使いの方を、家庭教師か何かとして紹介することも、出来なくはないそうです。
ただ、これはけっこうお金がかかりますし、複雑な手続きがたくさんいるそうなので、もしそうなった場合は、弦ちゃんのお父様やお母様たちに、ちゃんと相談しないといけないと思います。

では、取り急ぎ要件のみお伝えいたしましたが、何か進展がありましたら、またお知らせします。
いつもの普通郵便よりふくろう便のほうが速いので、この件に関してのみ、ふくろうを使います。ホグワーツへのお返事も、このふくろうに預ければ、届けてくれます。
ふくろうには、お水と、食べ物を少しあげてもらえると助かります。魔法のふくろうなので、人間が美味しいと思うものでいいそうです。

弦ちゃんがテニスができなくなるなんて、考えられません。
どうか良い結果になりますように。

紅梅


 手紙を読んだ弦一郎は、やはり紅梅に相談してよかった、と心から思い、安堵のあまり、自室の畳に突っ伏した。

 しばらくそうして安堵を噛み締めていたが、窓枠がないせいで縁側に直接留まったふくろうが、ほぅ、と所在無さげに鳴いたので、弦一郎は頭を上げる。
 そして良い返事を持ってきてくれたふくろうに感謝を込めて、茶碗にたっぷり注いだミネラルウォーターと、冷蔵庫にあった煮物の残りと、頂きもののなかなか高級な煎餅を、小さく砕いて進呈した。

 見慣れないのか、ふくろうは最初訝しげに煮物と煎餅をつついていたが、食べてみると気に入ったのか、ほぅほぅ言いながら次々食べ始めた。
 上機嫌なふくろうを尻目に弦一郎はさっそく紅梅に感謝を込めた返事を書き、続いて、ホグワーツ宛てに、テニスが出来ないなら入学は見送るが、そうでないなら一考する、と返事をかいた。
 そしてそれぞれを封筒に入れて、煮物と煎餅をすっかり食べ終えたふくろうに託す。

 本当にこんなおとぎ話のような方法で大丈夫なのか、と未だ若干の心配はあったが、弦一郎が恐る恐る差し出した手紙をふくろうは手慣れた動きでくわえ、あっという間に飛び立った。



 そして後日、然程も経たぬうちに、紅梅からとホグワーツ、それぞれから返事が届いた。
 まずホグワーツからの手紙であるが、驚くべきことに、他の日本人の子供達も、軒並み「テニスができないなら行かない」と答えたそうだ。
 やはりテニスは世界一のスポーツであるという確信を持ちつつ弦一郎が続きを読むと、ホグワーツの敷地内に数面のテニスコートを用意し、テニス部を設立すること、またマグル世界で暮らしている、テニスに詳しい日本の魔法使いが顧問兼コーチになってくれる事などが、具体的に書かれていた。
 また、日本からの入学者に関しては留学生扱いとするため、本人の意志によって中途退学を認める旨の証明書も、いかにも正式な判子が押されたものが同封されていた。

 これらの問題が解決さえすれば、魔力とやらの制御が覚えられる上、しかも将来的に英語を習得したい弦一郎にとって、二年間のイギリス留学は単純に歓迎すべきことだ。
 この瞬間、弦一郎のテニス生命を賭けた人生の岐路は、喜ばしい方向に道が開けたのである。

 ほぼ紅梅の言ったとおりのそれに弦一郎はおおいに安堵し、そして改めて紅梅を見なおした。背後にかの大魔女がいるとはいえ、やはり、あの少女ほど頼りになる存在はいない。

 そして続いて紅梅からの手紙だが、彼女もやはり二年間、ホグワーツに通うことにしたらしい。
 日舞をはじめとする稽古事に関しては、毎日の自主練習を約束させられ、休暇ごとにその成果を見せることで証明とする、とのことだ。
 だが、女将の目を完全に離れて遠くに長く行くのは本当に初めてなので、正直な所はしゃいでいる、というようなことが、本当に弾んだ字で書かれていた。

 紅梅がいかに窮屈で厳しい生活をしているのか知っている弦一郎は、今回も含め散々恩のある彼女が同級生になるにあたり、出来うる限り力になろう、と決めた。
 彼女は日本人にしてもいまどき珍しい、いかにも古風な見た目をしている。珍しがられたり興味を持たれたりするのはともかく、体格の大きい向こうの子供に、からかい半分で絡まれることもあるかもしれない。

 もしそんなことが起きた時は、自分がなんとかするのだ、と弦一郎はひとり頷く。
 日本人は迎合主義でやたらと外国人 にへこへこしがちだと思われていることが多いが、自分はそうではない。礼儀は欠かさぬが、無礼と侮辱には真っ向から立ち向かい、こてんぱんにぶっ潰してくれる、と、弦一郎は極道まがいの決意とともに、気合を入れなおした。



 こうしてイギリス行きが決まった弦一郎は、共に立海大付属中学に行くと約束していた精市に、律儀にことわりに出向いた。
 腐れ縁もひとまず二年間は途切れることになるな、と若干感慨深い気持ちでもって、実はこういう事情なのでイギリスに行ってくるが云々と精市に話したところ、

「え、真田もなの? 俺も俺も」

 と言って、弦一郎の手元にあるものと全く同じ入学許可証を見せてきたので、弦一郎は盛大に脱力し、幸村家の玄関先で膝をついた。

 曰く、幸村家はマグル界では突然出てきた成金だと思われているが、魔法界ではどこぞの神の血を引くなどとも言われるほど由緒正しい家系であり、精市も両親ともが魔法使いと魔女であるそうだ。
 神の子はまさしく神の子であった、ということ、そして腐れ縁はやはり腐れ縁、これからは精市とテニスクラブどころか学校生活、寝食も共にすることになるという事実に、弦一郎はしばらく膝をついたまま、無言で、ぴくりとも動かなかった。
Prologue1/2/終
なんとか辻褄を合わせてみたよ! という感じで。