【童話パロ】
桃太郎
《前振り》
 ──昔々、あるところに。

 結婚したばかりの、とある夫婦が睦まじく暮らしておりました。
 夫は真田弦一郎といい、剣術道場の生まれで腕っ節が立ちました。テニスラケットやら刀やらを振り回し、時折現れる野犬やら、猪やら熊やら、更には山賊やらを一人で追い払うことができるほど。
 そして嫁ごは紅梅といい、京の都の生まれで、舞の名手でありました。しかしお姫様育ちというわけでもないらしく、家事は完璧。特に料理が上手く、いつも身ぎれいでにこにこと微笑んでいるので、弦一郎はどこであんな嫁を見つけてきたのだ、もののけか天女のたぐいではないか、と噂されておりましたが、悪意のあるものではありませんでした。

 また、弦一郎はとても実年齢どおりには見えない、良く言えば男らしく、悪く言えば老けた風貌をしておりました。
 そして紅梅は一見して実年齢が全くわからない、そして実年齢からすると何やら落ち着きすぎた性格をしておりましたので、若者同士の新婚であるはずなのに、まるで数十年連れ添った熟年老夫婦のようだと評判の、それでいて非常に仲睦まじい夫婦でございました。






《山へ芝刈りに、川の近くへ買い物に》
 ある日、弦一郎は、「山に芝刈りに行ってくる」と言いました。
 しかしその腰には立派な刀、そしてなぜかテニスラケットが指してあり、芝ではなく何か他のものを“狩”ってくるつもりであろうことが丸わかりでした。
 賢い嫁ごは、最近、山にいたずらをする狸や狐が出る事を知っていました。そして、危ないことをしに行くとはっきり言うと自分が心配したり怖がったりするだろうから、と夫が下手な配慮をしてくれているのをすぐに察しすると、微笑んで頷き、おいしいお弁当を作って持たせました。
「気ぃつけて、お早うお帰りやすぅ」
「うむ。お前も危ないことはするのではないぞ」
 献身的な妻のお見送りに、弦一郎はご満悦気味な顔で出かけていきました。

 そのあと、紅梅は夕飯の材料のために、買い物に行くことにしました。
 今日はおそらく弦一郎が肉的なものを持ち帰ると思われるので、野菜を買い足しておこうと思ったのです。川沿いの道を優雅にてくてく歩きながら、若奥様は献立を考えます。
 関係ないことですが、この夫婦自体は概ね中流の家庭なものの、度を超えて裕福な紅梅の後援者たちからの結婚祝いとして、最新式の洗濯機やら食洗機が贈られおおいに活用されていたので、川に洗濯に行くようなことは一切ありません。

「あれ、まあ。なんどすやろか」

 紅梅はふと足を止め、川を眺め、いつもとろんとした垂れ目がちの目を見開きました。
 なんと川の上流から、ものすごく大きな桃が、どんぶらこどんぶらこと流れてきていたからです。その大きさといったら、紅梅ひとりではとても抱えきれないほどの大きさです。
「作りもんやろか?」
 紅梅は上品に頬に指先を当てて首を傾げつつ、桃が流れていくのを眺めました。
 ──眺めるだけです。なぜなら紅梅は食べ物を拾って持って帰るなどというさもしい真似など考えもしませんでしたし、食べないにしても、あんなに大きな桃を川に入って一人で引き上げるなど、とても無理だとわかりきっているからでした。
 それに、弦一郎からも、「危ないことはするな」と言われています。紅梅は、例えばホラー映画などで、絶対に外に出るなと言われているのにまんまとのこのこ顔を出してやられるような役柄の女などとは真逆の、堅実な性格をした奥様でした。

 流されて小さくなっていく桃を見送りつつ、珍しいもん見たわぁ、とつぶやいた紅梅は、何事もなかったかのように、またてくてくと歩き出しました。
 そして紅梅は肉に合いそうな野菜をいくつかと、デザート用に桃缶を買って帰っていきました。






《ペテン狐と紳士な狸》
「──帰った」
「お帰りやすぅ。……あらぁ」

 日が沈もうかという頃、帰ってきた弦一郎を出迎えた紅梅は、彼の後ろにいるものに声を上げました。
「おー、これが嫁はんか」
「初めまして。夕飯時にお邪魔して申し訳ありません」
 片やにやにやと紅梅を観察する狐、片や礼儀正しく頭を下げた狸に、弦一郎はハァと溜息をついて、「すまん」と謝りました。

「……弁当を分けたらついてこられた」

 とのことです。
 この狐と狸は仁王雅治と柳生比呂士といい、山に住んでいたそうです。お互いに上手に化けあうことができるので、たまに雅治のほうが悪戯をすることもありますが、よくよく聞けばさほど悪辣なことはしていませんでした。
 では退治することもなかろう、と、和解の印にテニスをし、さらに自慢の妻の弁当を分けたのはいいが、その美味しさに、山を下ればテニスもできるし、こんなに美味しい物が食べられるのかと、弦一郎にくっついてきたとのことです。

 自分の作った料理を褒められて悪い気のしなかった紅梅は、弦一郎が仕留めてきた猪と、昼間買いに行った野菜を使って、おいしい牡丹鍋を作りました。
 男三人はがっつくようにしてそれを食べ、デザートに桃缶で作ったゼリーまで平らげて、とても満足そうでした。

 こうして、狐の雅治と狸の比呂士は夫婦の隣に家を建て、お隣さんとして暮らすことになりました。
 やたらに食事をたかりに来られるので新婚夫婦は少し困惑しましたが、比呂士はとても紳士的な性格で、弦一郎が留守の間に紅梅の買い物に付き添ってくれたりしますし、雅治は訪問販売を装った詐欺師を逆に化かして追い返したりしてくれましたので、概ね仲の良い隣人として、彼らは平和に暮らしておりました。






《鬼ヶ島へ、鬼退治ついでに温泉旅行》
「鬼とな」

 そんなある日、弦一郎のところに、鬼ヶ島に行って鬼退治をしてくれまいかという依頼が舞い込みました。
「真田君は先日、盗賊の根城を一人で壊滅させましたからね。評判になったのでしょう」
 お茶を品よく啜りながら、比呂士が言いました。
「鬼ヶ島て、そない遠いとこ行かはるん?」
 紅梅が、心配そうに、そして寂しそうな顔で言いました。鬼ヶ島は遠く、歩けば何日もかかるところにあります。行くなら、少なくとも一ヶ月は帰って来られないでしょう。
「い、いや、行かんぞ。確かに報酬はいいかもしれんが、さほど蓄えに困っているわけでもない。地元で仕事をするだけで十分だ」
「嫁はんと離れとぅないだけじゃろうが」
 呆れた顔で、雅治が茶々を入れました。手には、紅梅お手製の大福があります。
「わ、悪いか」
 弦一郎は、きまり悪そうに、顔を赤くしてもごもご言います。しかし紅梅はそんな夫の様子が嬉しいのか、輝くような笑みを浮かべてにこにこしました。

「──ではいっそのこと、お二人で行かれてはいかがです?」

 比呂士のその提案に、夫婦はぽかんとしました。
「遠いので移動に時間はかかりますが、鬼退治自体には、真田くんのことですから、長くて一日くらいしかかからないでしょう。鬼ヶ島の手前には温泉もありますから、真田くんが仕事をしている間は紅梅さんはそこで待機しておいて、二人で温泉に浸かってから帰ってくればいいでしょう。たまには夫婦水入らずで、旅行というのもいいんじゃありませんか」
 いつも食事を御馳走になっていることですし、留守番は我々にお任せを、と、比呂士は夫婦に穏やかに微笑みかけました。

 夫婦は顔を見合わせましたが、言われてみればとてもいい考えのように思えてきました。
 新婚旅行ぶりの遠出ということで紅梅はとても嬉しそうでしたし、そんな妻に弦一郎も非常にご満悦気味です。

 そして、お隣さんの狐と狸に見送られつつ、夫婦は仲良く鬼ヶ島、と、その手前にある温泉目指して出発しました。






《仲間は、データマンな雉、天才的な猿、四つの肺を持つ犬》
「鬼ヶ島の鬼はんらァは、強おすのやろか?」
 睦まじく手をつないでの道行で、心配そうに紅梅が言いました。
 鬼にも“はん”をつける妻の品の良さ、そして己を心配する健気さに、弦一郎は家を出てから緩みっぱなしの顔を、更に緩めます。
「うむ。詳しいことはよくわからぬが、聞けば全身どころか目も赤く、悪魔のようであるそうだ」
「鬼なんか悪魔なんか、どっちや」
「どちらにしろ、あまり頭の良さそうな評判ではないな」
 辛辣なことを言いながら、夫婦は歩き続けます。

「うぅん、でも、心配やから、手伝ぅてくれはるお人がおったらええんどすけど」

 いつもの仕事でも、弦一郎の強さは信じているものの、万が一のことがあった時に一人であるのを考えると心配である、初めて行くところであればもっとそうだ、と紅梅は言いました。
 彼女の言うことはもっともだとハッとした弦一郎は、大きく頷きます。
「そうだな。目的地に着くまで時間もあるし、その間に仲間を募ってみよう」
「ええ人がおったらよろしおすなぁ」
 弦一郎が自分の意見を取り入れてくれたので、紅梅は安心と嬉しさを滲ませて微笑みました。


 二人は道中出会った強そうな者に声をかけながら、鬼ヶ島を目指しました。
 例えば跡部王国というところの殿様であるとか、大阪のお笑い集団など。しかし、皆気まずそうな顔、もしくは爆発せよと言わんばかりの顔をして遠慮するばかり。
 仲睦まじい新婚夫婦の旅に独り身で同行するのはちょっと、というのが理由でした。無理もありません。

「嫁さん、団子もうねえの」
「おいブン太、いいかげん食い過ぎだろ」
「弦一郎、このぶんだとあと一時間ほどで到着だ」

 そうして、結局鬼退治に同行することになったのは、紅梅の作ったきび団子を気に入って、食べられるだけ食べることを報酬についてきた、天才的な猿ことブン太と、その相棒の、四つの肺を持つ犬ことジャッカル。そしてとても物知りな、データマンな雉の蓮二でした。
 ブン太は美味しいものさえあれば何も気にしませんし、蓮二は空気を読んだりスルーしたりのスキルが凄まじく高く、その上なんでも「データ」と称するので、夫婦が無自覚にイチャイチャしていても、全く気にしなかったのです。気まずそうな顔をして一生懸命に気を使ってくれるのは、ジャッカルだけでした。

 しかしブン太もジャッカルも確かな実力の持ち主でしたし、蓮二は凄まじく頭が良くなんでも知っているので、弦一郎も紅梅も、良い仲間ができてとても頼もしく思っていました。






《赤い悪魔、のような鬼》
「──ほな、うちはここで待っとおすよって」

 鬼ヶ島の手前、海辺の温泉街に着いた一行は、温泉でしっかり英気を養ってから、紅梅を残していよいよ鬼ヶ島に行くことになりました。
 船に乗った四人を、紅梅がまだ少し心配そうに見送ります。
「ほんに、気ィつけてな? これ、お弁当」
 そう言って、紅梅は大きな弁当箱をそれぞれに渡しました。宿の台所を借り、この辺りで穫れる海の幸をふんだんに使った、とても美味しいお弁当です。四人は礼を言ってそれを受け取り、早速食べようとするブン太に呆れながら、船を進め始めました。
 見えなくなるまで、紅梅は海辺でずっと手を振っておりました。



「ところで、鬼ってどういう悪さしてるわけ」
 船の上ですっかり弁当を食いつくしたブン太が、今更の質問をしました。
「色々あるようだが、目につく者に喧嘩を売ったり、ストリートテニスコートでガラの悪い試合のふっかけ方をしたりといったことが主のようだ」
「それ、ただのテニス好きなチンピラじゃねーか?」
 蓮二の解説に、ジャッカルが困惑気味な、そしてとてもまっとうなツッコミを入れました。
「それだけなら良かったのだが、最近は視覚や聴覚──五感を奪ってきたりもするらしい」
「なんだそれ怖い」
「とにかく、度が過ぎたから退治の依頼をされたのであろう。我々は仕事をするのみ」
 そう言って、弦一郎が、腰の刀を差し直しました。

 やがて船は鬼ヶ島に着き、一行は船から降りて、鬼の根城と思しき所に向かっていきます。すると根城の正面から、もじゃもじゃの黒髪をした、生意気そうな少年の鬼が飛び出してきました。

「ちょっと、何スか! いきなり人んちにズカズカ上がり込んできて」
「……なるほど、そのモジャモジャした髪と角。お前が鬼だな」
 そう言って頷いた弦一郎が想像しているのは、正しくは鬼ではなく、たるんだお腹をしてウクレレを弾くのが上手い雷様であろうことを蓮二は把握しておりましたが、空気を読んで黙っておきました。

「かっ、髪は関係ねえし! ……絶対許さねー、潰す!」

 怒ったらしい鬼は、噂通りに顔も目も真っ赤にして、抗戦の構えを見せます。
 それに対し、弦一郎は剣呑極まりない表情をして、スラリと刀を抜きました。濡れたような、みごとな真剣の輝き。赤かった鬼の顔が、あっという間に真っ青になります。
「──良かろう、どこからでもかかってこい。恨みはないが、成敗する」
「ギャアアアアア!! ひ、人殺し! 助けて!」
「人殺しではない。鬼退治だ」
「理不尽すぎるっしょ! アンタのほうが鬼じゃねーか! 人でなし!」
 ごもっともなことを言い、鬼は涙目でガタガタ震えます。
 単なる喧嘩だと思っていたのに、刃渡り一メートル近い刃物を持ちだされて本気で凄まれては、びびるのもしかたのない事でしょう。
 そして、その様があんまり哀れなので、ジャッカルがおろおろとし、蓮二はすぅと目を開き、ブン太は紅梅から貰ったきび団子を頬張りました。

「やかましい。人々に因縁をふっかけたりストリートテニスで喧嘩を売ったりなどならまだしも、視覚だの聴覚だの五感を奪うなど。凶悪極まりないことをしでかしたのは貴様の方であろう」
「ちょ、違う! 違うッス! いや前半はちょっとホントッスけど五感は違う!」
「どういうことだ? おい弦一郎、いったん刀を納めろ」
 すっかり一行のブレーン的存在の蓮二が言ったので、弦一郎もまた困惑しつつも、彼の言うとおりに刀を鞘に収めました。

 そして、すっかり腰を抜かした鬼こと切原赤也に、蓮二は穏やかな声で話しかけ、事情を詳しく聞きました。
 すると、街で因縁をふっかけたり、ストリートテニス場で喧嘩を売ったり煽ったりとチンピラまがいのことをしていたのは確かに自分である、と赤也は白状しました。──しかし、五感を奪う、ということをしたのは自分ではない、と必死で訴えたのです。






《鬼のような神の子・桃太郎》
「桃から生まれた、桃太郎……?」
「そうッス。一ヶ月ぐらい前に、超でっけえ桃が流れてきて……」
 そしてそれを持ち帰った赤也が桃を割ると、なんと中から男が一人出てきたのだ、ということでした。桃は古来から神の国の食べ物だと言われ、桃太郎は神の子であるのだそうです。
 鬼よりはるかに強い神の子・桃太郎は本当の名前を幸村精市といい、赤也をテニスでこてんぱんに負かし、以来この鬼ヶ島に住み着いているとのことでした。

「……そういえば」

 弦一郎は、数ヶ月ほど前、川を流れるものすごく大きな桃を見た、と紅梅が言っていたことを思い出しました。
「こーんな大きい桃でなァ」と、細い腕をいっぱいに広げて表現しながら今日の出来事を語る可愛い妻の様子を、当時はおいしい夕食をつつきながらでれでれ眺めるばかりでありましたが、まさかその話のオチがこんなところに転がっているとは、思いもよらぬことです。
「なるほど。川で誰にも拾われなかったので、そのまま海に流れ出て、この鬼ヶ島まで流れ着いたわけか」
 弦一郎から紅梅による目撃証言を聞いた蓮二は、納得して頷きました。

「男がマッパで出てきた桃なんか食う気にもなれねーし、ボッコボコにされるし、家に住み着かれるし……そしたら今度は刀持ったオッサンが殴りこみに来るし、散々っすよ……」
「うぐ……」
 鬼とはいえ、明らかに年下の少年の哀れな様子にさすがに罪悪感を覚えたのか、オッサン呼ばわりされたことを怒ることも出来ず、弦一郎はバツが悪そうに唸りました。

「お前も大変だったんだなー。きび団子食うか?」
「あざっす! ……え、なにこれウマッ」
 ブン太から紅梅お手製のきび団子を貰って口に入れた赤也は、その美味しさに目を輝かせました。紅梅の作るものは、狐と狸、猿に続いて鬼までも虜にしたようです。それにジャッカルも紅梅の作るものが好きですし、蓮二とて、京風の薄めの味付けの紅梅の料理は大好きです。
 ここにいる全員、紅梅に胃袋を掴まれていると言っても過言ではありません。
 その事実に、自らこそが彼女に胃袋を掴まれている第一人者でありつつも、弦一郎はまるで自分の手柄であるかのようにご満悦気味な顔をしました。

「あの人超怖いんスよ……。むやみに喧嘩売ったりしたのがバレると笑ったまま怒って、五感奪ってくるし……。だから最近は因縁ふっかけたり、ストテニで喧嘩売ったりもしてねっすよ!」
 きび団子の美味しさで口が滑らかになった赤也は、色々なことを喋りました。
「どうも、嘘はついていないようだな。そういうことなら退治する必要はなかろう」
 うむ、と、弦一郎は重々しく頷きました。他の三人も、異論はないようです。むしろ元気が良くてテニスが好きな赤也を、皆それなりに気に入ったようでした。
「だが、その桃太郎とやらと話を付ける必要がある。呼んでこい」
「了解ッス!」
 すっかり従順になった赤也は、跳ねるようにして根城に駆けて行きました。



「──皆、動きが悪すぎるよ」

 悠々と出てきた桃太郎、こと精市は、鬼や悪魔など可愛いと思えるほど──、テニスの強い男でした。
 もはや立っているのは精市だけで、弦一郎も含め、全員が五感を奪われ、コートに突っ伏しています。
「ああ、連戦してお腹すいた。ねえ、これ食べてもいい? 食べるね?」
 五感を奪われて口もきけない面々に一応声をかけた精市は、勝手に荷物を開けて、紅梅が作った、重箱入りの弁当を取り出しました。ちなみに、ジャッカルのぶんです。

「──なにこれ、おいしい!」

 ふんだんに海の幸を使った、魚中心のお弁当を、精市は凄まじく気に入りました。
 そもそもこの鬼が島から出て行かなかったのも、海に囲まれていて好きなだけ魚が食べられるからです。しかし自分で作れるのは焼き魚ぐらいなので、この弁当に入っている煮付けとか、西京焼きとか、つみれ団子などは自分で作ることは出来ません。
「これ、どこのお店で買えるの?」
「それは売り物ではない。弦一郎の奥方が作ったものだ」
 早々に負けを認めたため、他よりはダメージの少ない蓮二が説明すると、へえ、と精市は頷き、倒れ伏している弦一郎をちらりと見ました。
「いいお嫁さん貰ったね、真田。爆発しろ」
「アンタが言うと洒落になんねえ……」
 青くなりながら、赤也が呟きました。しかし、皆彼と同じ気持ちです。

「特に西京焼きが絶品だったなあ」
「確かに、おの西京漬けは絶品だ」
「えっ、漬けるところから自家製なの?」
「おは基本的に出来合いを使わないからな。だから、おに頼まないとあの弁当は味わえないぞ」

 蓮二の言葉に、精市は、うーん、と数秒首をひねりました。

「そっか。じゃあ、こうしない? その、ちゃんだっけ。彼女が時々魚料理をごちそうしてくれるんだったら、鬼ヶ島を出るし、五感も、──あんまり奪わないよ。いい考えだろ。うん、いい考え。それで行こう」

 勝手に決めて笑顔を浮かべた精市は、倒れた皆を引きずって船に乗せると、紅梅が待っているという海辺の温泉街に向けて漕ぎ出しました。






《めでたし、めでたし?》
「──あらぁ」

 紅梅は、弦一郎たちが戻ってきた時にお腹をすかせているだろうと考えて、海辺で蛤や栄螺を焼いていました。白米も炊いて、刺し身を作り、アラを使った潮汁もいい頃合いです。
 見覚えのある船が戻ってきたので急いで駆け寄ったのですが、船の先頭に立っているのは彼女の夫ではなく、──桃太郎でした。
 弦一郎は、ブン太やジャッカルとともに、その後ろでぐったりと倒れ伏しています。蓮二だけが、涼しい顔をして座っていました。更にその後ろでは、もじゃもじゃしたワカメのような髪をした少年の鬼が、疲れた顔で小さくなっています。

「わ、いい匂い」

 紅梅が焼いている蛤や栄螺、そして鍋の潮汁、炊きたてのお米の香りに、精市は嬉しそうな顔をしました。
「ええと……」
 紅梅は困惑します。しかし何やら疲れ果てているようではありますが、怪我もなく無事に戻ってきた弦一郎たちを見て、やがて言いました。

「……ごはん、食べはります?」

 全員が、勢い良く頷きました。
 魚介尽くしの料理に精市はとても嬉しそうでしたし、弦一郎たちも、おいしい食事でみるみる元気になっていきました。

 そうして、メシウマ嫁の紅梅に改めてすっかり胃袋を掴まれた一同は、時々小競り合いはしても、彼女の作った食事を食べるときだけは、絶対に喧嘩をしませんでした。
 それどころか、同じ釜の飯を食ったからかそれなりに仲良くなり、桃太郎こと神の子・幸村精市が率いる一味は鬼も裸足で逃げ出す強さと評判になり、そこら一帯の治安はすっかり良くなり──、恐怖政治、とか言う者もいますが──、鬼ヶ島のことも忘れ去られました。
 当の鬼である赤也がすっかり紅梅に懐き、彼女の作る飯目当てに島に戻らず暮らすようになったので、無理もありません。

 温泉もあるし、魚も美味しい。
 この街が気に入った一同は、やがて留守番をしている雅治と比呂士も呼んで、皆でそこに暮らし始めました。紅梅も、夫の弦一郎に頼れる仲間ができて仕事の危険が減ったので、とても安心できると、成り行きでの引っ越しに躊躇いはありませんでした。

 海の街は、箱根温泉を有する、神奈川。
 そこで暮らし始めた彼らは、今では周りから最強王者立海と呼ばれ、鬼よりも恐れられながら、テニスに励み、楽しく暮らしています。

 ──その繋がりを作ったのがとある奥様の手料理であることを知る者は、あまり多くはありませんが。



 めでたし、めでたし?






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BY 餡子郎
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