『雪女の恋』番外編  
 2008/新年読み切り
 白くなった自分の息の向こうに広がる人ごみ、その中に友人たちの姿を見つけ、恭介はコートの中に入れ込んだマフラーを直しながら立ち上がった。
「遅いよ、伐、ひなた」
「悪ィ悪ィ、親父が着物着てけっつーの振り払ってたらどうもな」
 以前済んでいた一間のアパートを母とともに引っ越し、ジャスティス学園の方にやや近い場所の一戸建てに家族三人で住み始めた伐は、転校当初の険しい表情がなりを潜め、こうして笑っていることが多くなった。恭介はそんな彼に笑みを返し、彼の隣にいるひなたを見下ろす。
「綺麗じゃないか。似合うよひなた」
「ありがと! ほら伐、恭介はちゃんと言ってくれたよー」
「うっせ、俺は恭介みたいに気障ったらしい台詞なんざ吐けねえんだよ!」
 何の話だ、と恭介が尋ねると、華やかな晴れ着を着たひなたは口を尖らせた。
「聞いてよ、伐さあ、見るなり「なんだおまえそのカッコ」とか言うの! せっかく着物なのに炎舞脚が出るトコだったよ」
「そうか、それはダメだな」
「でっしょー!?」
 もっと言ってやって! と煽るひなた。相変わらずの関係だが、この三人はすっかりこうして常に行動するようになっていた。そしてケっと顔を逸らしていた伐が、ふと表情を変えた。
「あ、あそこに居るの、五輪の奴らじゃねえ?」
「ほんとだ! な──つ──!」
 ひなたはブンブン腕を振り、綺麗な振り袖が豪快に揺れる。そして向こうに居た同じく振り袖の晴れ着を纏った夏が、袖を押さえて淑やかに手を振り返して来た。和服を自分で着付けられる恭介は、着物を着慣れた動きを見せる夏に少し感心する。
「うわ──、夏キレイ!」
「あ、ありがと……」
「鮎原さんも綺麗だね。背が高いから濃い色が締まって見えるよ」
「ほら見ろ将馬、恭介もちゃんと褒めたじゃないか」
「うるせ──よロベルト!」
 どうもこちらも同じような状況だったらしいそのやり取りに、恭介とひなたが笑う。将馬はスポーティーな黒いジャンパーを引っ掛け、ロベルトはいつものサンバイザーではないが、目元を隠さないと既に落ち着かない癖でもついているのだろうか、ニットの帽子を深く被っていた。
「もうすぐあきらも来ると思うんだけど」
「ティファニーもロイ引っぱって来るって言ってたよ。キモノ着たいからって」
「何だ、結局全員集合じゃねえか」
 笑いながら雑談していると、恥ずかしそうに晴れ着を着たあきらと派手なジャケットを着たエッジ、革ジャンがやたらに渋い醍醐と、ほとんどいつも通りの格好にマフラーを巻いた岩が揃って現れる。さらにそのあと、ブロンドに派手に簪を挿した振り袖姿のティファニーにかなり嫌々そうに引っぱられて来た嫌日家のロイ、そしてニコニコとしているボーマンの青いジャケットが見えた。
「あけましておめでとーう」
 挨拶をしあい、高校生たちは人ごみの中に入った。鳥居を潜るにはまだまだ時間がかかりそうだったが、こんなに人数が居れば、待ち時間を潰すのはわけない。そして三十分もかかって──つまり三十分世間話をして、彼らは神前に辿り着いた。
「──甘いものを食べても太りませんように!」
「それはさすがに神頼みでもどうにもなんないでしょひなた……」
「え〜!? 夏は?」
「じゃ、次の大会、怪我しませんように」
「必勝祈願じゃないんだ?」
「勝つのは決まってるからね」
 フフンと笑う夏に、さっすがあ、と笑ってひなたが彼女の背を叩く。
「じゃ……次の学校でも、上手くやれますように……」
「そっか、あきらはゲド校出ちゃうんだよね」
「寂しくなるのう……」
 岩が本当に残念そうに言い、あきらは微笑んだ。ちなみに岩は、既に「沢山食べれますように」という祈願を大声で言い、仲間たちだけでなく一般参拝客からも笑いを頂いた。
「ぎゅ、牛乳が大好きになれますように……!」
「それも神頼みにはどうかと思うぞ将馬……。じゃ俺は、フォワードのポジションを極められますように」
 今回の騒動で腕に怪我を負い、ロベルトはキーパーからフォワードに転向した。しかし努力の甲斐あってか、ここ数ヶ月で彼はフォワードとしても注目され、先週プロからの打診さえあったという。
「うおー総番長、賽銭一万!?」
「こらエッジ、大声で言うものじゃない」
「さすがッスね。じゃあ俺も一発、“金が貯まりますように”!」
「台無しじゃねーか!」
 エッジの祈願に全員が突っ込みを入れる。その後まだぶつぶつ言っているロイとティファニーが大騒ぎをしながら賽銭を投げ入れ、ボーマンが興味深そうに祈りを捧げた。
「伐と恭介はー?」
「あぁ? ……あー、……“親父がどうにかなりますように”」
「どうにかってどういうこと……?」
「うるせえな……聞くなよ……」
 疲れたように目を逸らす伐に、ひなたはもうそれ以上何も聞かなかった。
「恭介はまだ?」
「いや、もう祈った」
「えー? なんてお願いしたの」
「それは……、あ、すみません」
 あとから登って来る参拝客と肩をぶつけた恭介が小さく謝る。
「おい、いつまでも神前に居るな。邪魔になる」
 醍醐がそう言い、全員がそそくさと階段を下りた。さすがは総番長の鶴のひとことである。
「で、この後どうする?」
「んー、とりあえず甘酒〜」
「賛成!」
 華やかな振り袖の塊がきゃあきゃあとそう言いあうのを、男性陣は何だかぼんやりと見遣る。そしてその時、ロベルトがふと振り返った。
「──あれ?」
「何、ロベルト」
「……いや……」
 気のせいだと思う、とロベルトは言い、再度前を向いた。





「明けましておめでとうございま──す!」
「うむうむ、よく来たな」
 紋付を着た雷蔵は、揃って声を上げた子供たちにニコニコとしながら頷いた。
 甘酒を飲んでいる時に連絡が来て、伐が「皆居る」と言うと、雷蔵が皆で挨拶に来いと強く勧めて来た。この後どうしようかと話していた彼らがそれを断る理由もなく、更に言えばお年玉目当ての邪念を込めて、彼らは雷蔵たち一家の新居にやって来た。
 ジャスティス学園の学長室の雰囲気とは正反対の和風の平屋は風情たっぷりで、いかにも日本の家という感じだ。雷蔵はどちらかというと洋風の方が好きでその趣味が現れたのがあの学長室であったらしいのだが、雫と伐が断然和風派であったため、この家に落ち着いたらしい。程よく古い木造の平屋は居心地がよい。
「よく来たわねえ。じゃあこっちいらっしゃい」
 にこにこと微笑みながら言った雫は、玄関前に立っている学生たちを、屋内ではなく庭に案内した。皆きょとんとしながらもどやどやとそちらに向かうと、この人数が入ってもまだ少し余裕があるような素朴な庭に、臼と杵と、広い縁側があった。
「さーあ、若者の仕事よ!」
「へえ、風情があるなあ」
 餅つきなど子供の頃以来だという者も居れば、毎年やっているから任せろと張り切る者、それぞれである。そしてずっと機嫌が悪かったロイも、初めて見るそれに目を丸くしつつも、力と技術が居る大仕事だと言うことを聞き、初めてニヤリと笑ってやる気を見せた。
 その時、玄関のチャイムが鳴り、餅つき指導をする雷蔵を残し、雫は忙しなく小走りに駆けて行った。


「──あ」
 全員でふかしたての餅と格闘していたそのとき、雫から案内されて二人が現れるなり一斉に皆がその方向を見、そしてややしてから、恭介が目を見開いた。
 輝くような白い長髪が翻り、射干の黒髪に飾られた簪がしゃらんと揺れている。新年の挨拶とともに頭を下げる晴れ着姿の雪姫子の所作は、やはり堂に入っていた。そして同じく相変わらず彼女の横で、かっちりしたブラックグリーンのロングコートを着て堂々とした風情で立っている雹が、皆を見渡して言う。
「──なんだ、来ていたのか」
「こっちの台詞だよ。……というか、ジャス学って卒業まで外出られないんじゃ……?」
 風呂敷で包んだ一升瓶をぶら下げた兄に、恭介は尋ねた。
「……校則が改正されてな」
「は?」
「いやその、生徒が出られぬのに学長が学園の外部から通って来ているというのは示しがつかんだろう」
 やや苦笑いにも似た口調で言ったのは雷蔵だった。雹が頷く。
「そういうわけだ。冬期と夏期、それぞれ一週間の外泊が可能になった」
 それでも年二回一週間ずつって、とエッジが呆れたような声を出した。もちろん希望すればなので、学園に残って訓練や勉学、研究に励む者も居ると雹が補足すると、気が知れない、という風な呻きが返って来た。
「ああ、じゃあさっき神社で擦れ違ったのはやっぱり君らだったんだな」
 ロベルトが納得したように頷く。
「……ん? ちょっと待て。外泊ってことはお二人さんアレかい。やるじゃねーか!」
「下世話だぞエッジ」
 ニヤニヤしながら言ったエッジを醍醐が諌める。そして数人が気まずげに顔を赤らめるが、雹は忌々しげにため息を吐いた。
「単にそうならいいのだが」
「──雹様!」
 やや赤くなった顔を顰め、雪姫子が鋭い声を飛ばす。しかし雹は意にも介さぬ様子で冬空を見上げ、もう一度ため息をついた。
「……叔父上。貴方が逃げたおかげで私は散々だ」
「は? どういうことだよ」
 既に上着を脱いで腕まくりをし、餅つきをしている伐が尋ねた。すると雹はしつこくため息をつき、ちらりと雷蔵を見遣る。雷蔵はぽりぽりと頭を掻きながら、明後日の方向を見つめた。
「いやあ……なんというかな」
「当主が逃げれば次期当主が代理だ。忌野の分家と親戚筋に関係者、全ての挨拶回りと新年会は全部私が出席するはめに」
「まあ!」
 さらりと雹が告げ口し、雫が顔を顰めて声を上げ、縁側に座って明後日の方向を見ている雷蔵をキッと睨んだ。
「あなた! 忌野の集まりはすっかり終わったから帰って来たと仰ったじゃありませんか! 雹君と雪姫子ちゃんに全部押し付けたのね!?」
「いやその、押し付けたというのではなくてだな、その」
 かなりの剣幕の妻に、雷蔵は巨体を縮こまらせてぼそぼそと言い訳にならない言い訳をし始めた。
「……なんというか、次期当主とその婚約者の正式なお披露目と、その、二人でゆっくりしてもらうお年玉を兼ねてと思ってだな……」
「何がお年玉……あんな羅刹の巣窟のような家でゆっくり出来る猛者が居るならお目にかかりたい」
 そして雹は雷蔵の隣まで歩いていくと、紫色の風呂敷に包んだ一升瓶をそこにドンと置き、さらにその中から紐で綴じた和紙の束を取り出した。
「……これは何かな、雹」
 目の前に置かれたそれに、雷蔵は半ば恐る恐るといった声で尋ねる。
「貴方が逃げたおかげで、私は昨日の晩まで延々と二日酔いと闘いながら挨拶回りだ」
「……ええと」
「こちらは返礼目録、酒は嫌味です。お収めください」
 そして雹は、一升瓶の口を掴んだまま、目が据わった笑みを浮かべた。
「新年あけましておめでとうございます、叔父上」
「いや、あの、……すまん」
 完全に目が据わっている雹から目を逸らしつつ、雷蔵はぼそりと言った。
「雹様、もうそのへんで……」
 苦笑しながら雪姫子が言うと、雹は言い足りなさそうにしながらも腰を上げた。
「まだ少しお酒が残ってらっしゃいますでしょう。雫様、お水頂けますか?」
「あらまあ、本当にごめんなさいね雹君」
 申し訳なさそうな雫に、雹は「いや、どうせいつかは毎年やらねばならんことだ」とやや色の悪い顔で短く言って、雫が持ってきた冷たい水を飲み干した。
「まったく、未成年だって言うのに、あなた! それでも教育者ですか!」
「すまん、反省しとる。忌野の男だから修行は積んどるしな、ついつい……」
 この新居で暮らすためにしばしばジャスティス学園を空けた雷蔵は、その度に雹に学長代理をやらせている。その癖が出てついつい忌野の当主業も雹に押し付けてしまったわけだが、忍びたる忌野の修行で酒に対する訓練も積まされている雹と言えど、普段から飲んでいるわけではない学生の彼が、あのうわばみ一族に杯を勧められるままに飲むのはかなりの苦行だったことだろう。
「未成年のやる年越しじゃねえな……」
 古い家って大変だな、と将馬が呆れたように呟く。そしてその言葉に、雹が自分たちと同じ学生で未成年であることをハっと思い出した。忘れがちではあるが、雹は高校生で恭介とは双子なのである。
「……何を見ている」
 まだ残る二日酔いと闘っている雹は、何故か自分に一斉に集まっている視線に、訝しげな呟きを返した。



 雑煮の下準備とお節づくりに駆り出されて雪姫子と夏、あきらがいなくなり。残りの皆は相変わらず大騒ぎしながら、大量の餅を搗いていた。
 ちなみにティファニーとひなたがついていかなかったのは、料理が苦手なため、そして慣れないことで晴れ着を汚しては大変だからだ。恭介も手伝えるのだが、さすがに女四人の台所に男一人入るのは躊躇われたらしく、申し訳なさそうにしながらも庭に残った。
「折角なんだから、兄さんも着物着れば良かったのに。ゆきが着付けてくれるだろう?」
 縁側で水を飲んでいる雹に、恭介が汗を拭きながら言った。雪姫子は晴れ着を着ていたが、雹は濃い色のロング丈のアーミーコートを、しっかりボタンを留めて着込んでいる、そのことからくる何気ない発言だった。
 しかし雹は、頭痛を堪えているのか眉間の皺を深くした。
「わざわざより目立つ真似など面倒だ。あの無駄に派手な制服を毎日着ているだけでもうんざりだというのに」
「ああ、まあ、あれは確かにかなり派手だな」
 本気でうんざりした口調の雹に、ロイがコメントした。
 ジャスティス学園の、金の飾りとオレンジと黒で構成された、制服というよりは派手な軍服めいた衣装。あれはクラスが上がるごとにデザインが変わり、……というよりクラスが上がるほど飾りが華美になるのである。そしてSAクラスの雹が着ているそれは、初めて見たときは例外なく誰もが目を丸くするほど派手だ。色だけでも赤に近いオレンジというド派手ぶりなのに、肩にはかなりごつい金属製のエポレット、そしてそこから伸びる飾緒、──ともに金色──さらにはロングブーツ、果ては白いマントまでついているのである。
 そして真っ白に輝く髪を長く伸ばした雹がそれを着た様は、将校を通り越してもはや王様だ。
「しかもSAだから着ているのは必然的に私だけで、目立つことこの上ない。私はパンダか」
「……奥和田さんは? あの人もSAだろう?」
「実験の為と言って上着の代わりに白衣を着てやりすごしている」
「あ、なるほど。ところであの人実家とか帰ってるのか?」
「私の外出中に粒子加速器を爆発でもされたらかなわんので、無理矢理追い出した」
「相変わらずだなーあの人……」
 そんな雑談をしていると、料理が出来たと雫の声が飛んできた。
 こちらも出来た餅を雫に渡し、ぞろぞろと家の中に入って行った。



「おお〜、すげーじゃんアキラ!」
「美味そうじゃのう!」
 エッジと岩が、それぞれ喜色を浮かべて言った。さすが伐の母、ずらりと並べられた料理の数は食べ盛りの高校生にしても大食感なメンバーが数人いることを存分に考慮したもので、凄まじい景観だった。
「アキラちゃんも夏ちゃんも、本当にお料理上手だわあ。どこにお嫁に出しても恥ずかしくないわね」
 完璧に仕上がっているお節と雑煮をほくほく顔で並べつつ、雫が褒める。二人は晴れ着の上から着ていた割烹着を脱ぎつつ、台所の湯気のせいだけではなく顔を赤くした。
「失礼いたします」
 するり、と作法通りに座って襖を開けて入ってきたのは、まだ割烹着を着たままの雪姫子だった。さすが忌野のくのいち忍術免許皆伝を持つ身のこなしか、雪姫子はこれでもかと雑煮が乗った盆を全く揺らさずに背筋を伸ばして立ち上がり、三つ繋げたちゃぶ台にそれを置いた。
「どうぞ、風間様。あきらが作ったお出汁、美味しいですね。驚きました」
「ああ、この家はうちと同じ澄ましだったか」
 醍醐が、雪姫子の手から雑煮の椀を受け取った。醍醐の言う通り、桃色のかまぼこや銀色の魚の切り身が柔らかな透明に透けた雑煮の出汁が揺れ、ゆずと三つ葉のとても良い香りのする湯気を放った。
 盆に乗った全ての雑煮を配り終えた雪姫子だったが、まだ何か雑事を手伝おうと立ち上がりかけた彼女を、雫が止めた。
「雪姫子ちゃん、もういいから座りなさい」
「でも……」
「あなたはお客さんですもの。もう充分手伝ってもらったわ」
 雪姫子が未だ根深い下忍根性で自分を卑下しがちであることを知っている雫は、働き者ではあれど、放っておけば使用人のように振る舞いかねない彼女を、柔らかながらも強い口調で席に追いやった。
 しかし雪姫子もそういった気を使われるのはいい加減慣れてきているのか、ひとつ苦笑をすると深々と礼をし、手慣れた動作で割烹着の紐を解いて手早くたたんだ。そして袖をたくし上げていた襷の紐も一瞬にして解く。すると、あっという間に今まで家事をしていたとは思えない、華やかな振袖姿が現れた。
 席は女性陣と男性陣で別れており、雪姫子がティファニーの隣の席に着いたのを確認すると、雷蔵が乾杯の音頭をとった。そしてその途端、元旦の御馳走を前に「おあずけ」状態だった育ち盛りの高校生男子たちは、凄まじい勢いで料理をかき込み始めた。
 ここまで豪快に食べられると、作り甲斐があるのやらないのやら……と、綺麗に飾り切りにした花の形の人参があっという間に飲み込まれていく様を見ながら、夏やあきらは苦笑した。
 しかし野獣のように食べる男たちの中、使いにくい祝い箸を実にしっかりと使いこなして雑煮を食べる恭介と雹は静かな分、逆に目立った。さらに女性陣の中には、そっと袖口を抑えながらお節を取り分ける雪姫子の姿がある。
 その動作の全てはかなり和服に慣れた動きで、なめらかな所作は慎ましやかながらも目を引いた。
「はあ〜、ほんと、忌野さんちはいろいろと堂に入ってるね。伐以外」
「ビューティフルね! ヤマトナデシコ!」
「おい、男は大和撫子とは言わないぞ」
 恭介が静かに突っ込む。
 家事苦手組のひなたとティファニーがとても率直な言葉で褒めると、雪姫子は手を一瞬休め、ふわりと笑み、ありがとう、と小さく返した。
「まあでも、ゆきはやっぱり本物だから違うだろうな。日舞の準師範の資格取ったんだって?おめでとう」
「ええ、お陰様で……御前様にはその節でたいへんお世話になりました」
「いやいや」
 雪姫子が三つ指をついて完璧に頭を下げ、雷蔵は一気に格好を崩した。
 あの後、雪姫子は雷蔵の援助を受け、細々と日舞の師匠の所に再度通い始め、試験を受けて合格した。外に出ることは、月に一回程度ということもあり、やむなしの課外部活動ということで大目に見てもらっている。
「すごい、準師範!? そりゃ和服に慣れてるよね」
「というより、私は洋服を持っておりませんから……」
「ええ!?」
「じゃあ、雪姫子の私服って全部着物!?」
「そうですね、季節ごとに二、三枚ずつ。洋服は制服だけです」
 あっさりと言う雪姫子に、ほとんど全員が目を丸くする。
「不便じゃない?」
「寮生活ですから、別に……」
 雪姫子がふるふると首を振ったそのとき、恭介は双子の勘か、雹がぴくりと反応したのに気付いた。しかもそのあと、眉間の皺がごく僅かだが深くなっている。
「……?」
 今の会話のどこに彼の琴線に触れるものがあったのだろうか、と恭介は一人首を傾げたが、そもそもそんな些細なことに気付いたのは恭介のみだったらしく、夏がさらに声を上げる。
「でもちょっと持っとくのもいいんじゃない? そうだ、冬休み明ける前に服見に行こうよ。アタシは見立てる自信なんかないけど、ティファニーならきっとノリノリで見てくれるでしょ」
「オフコース! まかせとくネ!」
 餅と格闘していたティファニーが、満面の笑みでブイサインを作った。ブロンドに飾られた色とりどりの簪が、しゃらんと綺麗な音を立てる。
「ほら、あきらも服欲しいって言ってたし、丁度いいじゃない」
「……うん、そうだね。一緒に行こうよ雪姫子」
 夏が提案してあきらが微笑み、雪姫子は少し驚いた顔をしながらも、嬉しそうに微笑み返した。雪姫子は、女同士で買い物に出たことなどない、というか、そもそも生活必需品以外で自分の物を買いに出たことなど一度もないのである。
「そうですね……」
 雪姫子が、ちらりと視線を流した。その先に居るのはやはり雹だったが、彼女の視線を受け止めた途端に眉間の皺が薄くなった兄に恭介は内心吹き出しそうになる。だが新年早々兄に睨まれたくなかったので、何とか堪えた。
「好きにしろ」
「ほら、旦那からの許可も出たし」
「だ、旦那って!」
 ひなたからからかわれ、既に名実共に恋人同士であるにも関わらず、未だそう言った風に言われるのに慣れない雪姫子が赤くなる。そんな彼女の表情には、かつて雪女と言われていた冷たさなどもう少しもなかった。
「あら、いいわねえ。あなた、雪姫子ちゃんにはお年玉弾んであげてちょうだいね」
「うむうむ、そういうことならまかせておきなさい」
「えっ、でも、あの……!」
「遠慮はなしよ、雪姫子ちゃん」
 下忍根性が出そうになる雪姫子に、雫がすかさず口を出した。
「この人、あなたを構うのが楽しくてしょうがないみたいだし。ごめんなさいねえ、私が女の子産んであげられなかったものだから。諦めて甘やかされてちょうだい」
「え、あ……」
「ね」
「……は、はい。ありがとうございます、何から何まで……! この晴れ着も頂いたのに」
「女の子には当然の待遇だよ、雪姫子君。礼を言われるほどのことでもない。よく似合っておるよ」
「ありがとうございます……!」
 雷蔵に買ってもらったという、白地に燻金で蝶の刺繍と雪輪の振袖を着た雪姫子は、再度深々と雷蔵に頭を下げた。雷蔵は始終にこにこしているが、……雹の方は、その真逆だ。再度眉間の皺が深まった彼に、恭介はとうとう尋ねた。
「兄さん」
「何だ」
「……さっきから、なんでゆきが叔父さんに頭下げる度にしかめっ面してるのさ」
「ごふっ」
「うわ雪姫子! 大丈夫!?」
 今までずっと完璧な所作で食事をしていた雪姫子が、おもいっきり咽せた。涙目でゲホゲホと咳き込む雪姫子の背中を、夏がさすっている。そして雪姫子の席が収まりかけたのを見届けてから、熱燗を傾けていた雷蔵が呆れた目線を雹に向ける。
「何だ雹、お前まだ拗ねておるのか?」
「……誰が」
 ますますむすくれた雹は、ぼそりとそう言って茶の残りを煽った。何が原因かはわからないが、とにかく二日酔い以外の原因で機嫌が悪いのは確かであるらしい。
「いかんぞ〜、成人式まではわしが面倒見ると決めたばかりだろうが」
 雹はこれには既に答えることすらしなかった。何のことだ、と雫が尋ねると、雷蔵はにやりと笑う。
「儂が雪姫子君の着物を買ったものだから、拗ねとるのだ」
 その台詞に、雹は更に眉間の皺を険しくし、雪姫子は咽せたからだけではない顔色になって俯き、他の者たちは何のことだかさっぱりわからないか、もしくは未だ夢中で料理をかき込んでいた。そして質問した雫は夫の答えを聞くと、呆れ返ったようにあんぐりと口を開け、そのあとけらけらと笑い出した。
「まーあ! ウチの子にもそのっ位の甲斐性が欲しいわあ!」
「はあ!?」
「雫様……」
 大笑いを続ける雫に、息子の伐が餅を頬張りながら訝しげな声を上げる。雪姫子は恥ずかしそうに、困ったように頬を染めていた。
「なるほどねえ。それにしても、雹君はつくづく甲斐性がありすぎというか高校生らしくないというか……」
「……その点については僕としても同じ思いですが」
 恭介は本気で苦笑した。雹は恭介と双子であり、雪姫子や他の殆どの面々と同い年だが、恭介は今まで生きてきて、それを実感したことは一度たりともない。
「……ていうか、全然話が見えないんだけど。何の話?」
 夏がきょとんとして首を傾げた。すると雫がまた笑いながら言う。
「ゆきちゃんがいかに愛されているかという話よ!」
 欠食児童たちにお代わりを振る舞いながら雫が言い、雪姫子がまたも赤くなって俯いた。



「雹様……」
「何だ」
 日も暮れかけようという頃、一文字、もとい忌野家を退出した雹と雪姫子だったが、頭ひとつ分低い位置から恨めしげな声を出した恋人を、雹は見下ろした。
「……まだ根に持っていらっしゃったんですか」
「当たり前だ。まさかあんな習わしがあるとは。ますますどうにかせねばならん、あの一族」
「そんな理由ですか!」
「そうだとも、驚くほど健全な理由だ」
「……どこが健全……!」
「ほう、何か不健全な点が?」
 雹があの深い笑みを浮かべながら言うと、雪姫子はつるりとした眉間に皺を刻み、雹を上目遣いに睨んだ。しかし雹にして見れば、夕陽のせいだけではなく顔を赤くし、黒目がちな涙目で睨まれた所で怖くも何ともない。
「知りません!」
 自分が睨んでも蛙の面に小便だということに気付いたのか、ぷい、と雪姫子は顔を逸らし、すばらしい裾さばきですたすたと雹を追い越した。
 雹は少し溜飲を下げたがしかし、さっき雪姫子が自分で締め直した金色の帯が夕陽で赤く照らされて輝く後ろ姿を眺めて、なぜあの帯が自分の贈った物ではないのか、と再度ため息をついた。
 忌野は、呆れるほどに古い家だ。そしてその古さは、様々な習慣や掟を生み出している。そのひとつが、男が女に贈る帯だ。
 もともと、結納の時には男方から女方へは御帯料、逆に女方から男方へ御袴料を納めるという習慣が日本全てに共通してあるが、忌野という家に置いては、男が贈った帯を締めている、というのは、その女がその男のものだということ──つまり帯を解く権利があるということを示すのだ。
 戦国時代だか何時代だか、そんな古い時代には忌野だけとは限らなかったことだが、和服を着る事自体稀になった現代では、そんな習わしは当然途絶えている。しかし忌野はそうではない。
 ずっと使用人として暮らし、両親の遺産も全て霧幻によってどこかに流されてしまった雪姫子には、財力らしいものは何もない。だから学費も奨学金で通っているし、寮暮らしだからさほど入り用にはならないが、生活に必需品となるものを買う金は、後見人となった雷蔵が出している。
 そんな彼女が唯一持っているものと言えば、どうやったのだか実家から何枚か持ってくることが出来たという、雪姫子の母の着物や帯だけだ。雪姫子はそれを自分唯一の私服として、大事に着ている。
 しかしそれらは母の唯一の形見でもあり、父が母に贈った帯は父の形見でもある。そんなものを普段着にはしたくないだろう、と、雹は彼女に何か服を買ってやろうと思ったのだ。雹も寮暮らしで洋服を見立てる自信はなかったが、家で暮らしていた時期はやはり和服を愛用してもいたから、着物なら自分でも何とか見立てられるだろう、と。
 雹は色々と入り用があるので自分で稼いだ金を持っているし、それは実際に雪姫子の生活の全てを面倒見て余るほどのものだ。普段着用の着物の五枚や十枚買ってやった所で、どうということもない。
 彼らの仲を認め、おおいに応援してさえ居る雷蔵だったが、忌野で男が贈ったものを身に纏うことは「肉体関係があることを暗に示す」ということが判明し、良い顔をしなかった。雷蔵は健全な教育を志す、今や日本最高の教育者である。実際にどうということは置いておくとしても、そんな意味を持つことを若い者がするのは良くない、と言い張ったのだ。
 雹はそんな叔父と散々やり合った結果、「忌野本家で雪姫子が雹の贈ったものを着ていたら、次期当主の恋人としてどれだけ風当たりが強いか」という言い分に負け、雪姫子の晴れ着を買う権利だけでなく、成人式までの権利まで全てをとられてしまったのだ。
 どう見ても彼女と同い年の男が彼女の後見人とする小競り合いではなかったが、雹はわりと本気で悔しがっていた。
 雪姫子自身は両親の形見を普段着に下ろさなくても良くなって喜んでいるし、今着ている晴れ着とて、七五三以来初めて綺麗に着飾ったことで、抑えようとはしていたが、随分はしゃいでいた。
 雹も彼女が着飾ることを喜んでいるのは恋人として見ていて嬉しいものだし、今まで不憫な思いをさせてきた分、それはひとしおだ。
 しかし彼女がそうして新しく身に付けるものの中に自分が贈ったものが何一つないということが、彼には甚だ気に入らないのである。
 単純に恋人に贈り物をしたいという健全な理由と、お前にはまだ帯を解く権利はないのだと言い渡されたが故に、恋人に触れにくいという不健全な意味、二通りの意味で。
「雪姫子」
 すたすたと前を歩く彼女を、雹は呼び止めた。しかし、雪姫子は振り返らない。
 まだまだ下忍がどうのこうのといらない所で遠慮をすることの多い雪姫子だが、雹と二人きりだと、こういう反応をすることも多くなった。その度に雹は笑い、更に雪姫子の膨れっ面が酷くなるのだが、そのやり取りは既に奥和田によって「バカップル」と身も蓋もない評価を頂いている。
「そんな顔で写真に写る気か? 両親の墓前に供えるのだろう」
 せっかく綺麗に装ったのだから、と、彼らは写真館に予約を入れていた。すると雪姫子はぴたりと足を止めた。雹は彼女に追いつき、抜いた襟から伸びる白いうなじをしっかり眺めてから、俯いた顔を覗き込む。
「どうした、雪姫子」
「……私だって」
 ぼそぼそと呟く声は、少し震えていた。
「私だって、あなたが下さったものを着たくないわけじゃありません」
 少し早口でそう言いきると、雪姫子は再びすたすた歩き出した。その早さが照れ隠しであることぐらい、雹には考えなくてもわかった。
 雹は僅かに目を見開くと、歩調を早めた。早歩きとはいえ、晴れ着とおこぼでちょこちょこと歩く雪姫子である。少し大股になれば、あっという間に真横に追いつくことが出来る。
「雪姫子」
「でも、まだ、……あの」
 恥ずかしいので、と消え入りそうな声で、雪姫子は言った。俯いた耳が赤いので、雹は雪姫子が気の毒になり、諦めて、黙って彼女の手を柔らかく取った。すると雪姫子は初めて顔を上げ、にっこりと嬉しそうに微笑む。
 写真に残すに遜色ない良い笑顔に、雹も仕方なく僅かに微笑み返した。





「損した」
 雪姫子が女性陣とともに賑やかに冬のバーゲンに出陣してしまったあと雹に呼び出された恭介は、どこか遠い声でそう呟いた。
 恭介としては、久々に兄弟二人で過ごすのもいいだろうと二つ返事で了承したわけだが、その兄はと言えば、先程から真剣な表情で櫛を選んでいる。
「損? 何がだ」
 シンプルだが高級な柘植、絢爛豪華な蒔絵に可愛らしい赤い漆。専門店にこれでもかと並べられたそれらが、誰の為のものかはあきらかだ。商品から顔を上げもしないまま返事をする雹に、恭介はため息をついた。
「初詣のとき」
「ふむ」
「兄思いの僕は、兄さんとゆきがうまくいきますようにとお願いした」
「……ありがたいことだが、兄思いと自分で言うか」
 雹は苦笑して顔を上げたが、その口調は弟の発言を完全に肯定していた。彼らはその生い立ちもあるだろうが、こうして二人で出掛けるというところからしても、世間一般の男兄弟と比べれば、珍しいほどとても仲がいい。
「柘植と蒔絵はどちらがいいと思う」
「……ゆきの性格からすると柘植だけど、ここは華やかな方がいいんじゃないか」
 プレゼントなんだし、と恭介が的確なアドバイスをすると、雹は素直にそうかと頷いて、色とりどりの蒔絵の櫛を眺め始めた。彼が恭介をわざわざ呼び出したのは、弟のこういう方面での趣味の良さを信頼しているからだ。
 この分だと、成人式のあとゆきの着物や帯を選ぶのも手伝わされるのだろうか、と、元旦の日に雹の機嫌が悪かった理由を既に雷蔵と雫夫婦から聞いている恭介は、乾いた笑いを浮かべた。
「ところで、なんで櫛?」
 わざわざ渋い所を選ぶのは兄らしくもあるが、身につけるものなら簪とかのほうが華やかなんじゃないのか、と恭介は首を傾げた。
「……櫛は」
「ん?」
「私が行くまでそれで身を整えていろ、という意味があるらしい」
 さらりと兄が言ったそれに、恭介は自分のことでもないのに顔が赤くなるのを自覚した。そして眼鏡をずり上げて手のひらで顔を覆い、今度こそ遠慮なしに盛大なため息を履く。
「本当、もっと違うことをお願いすればよかった……」
「お前の神頼みが利きすぎたのではないか?」
 それなら尚更だよ、と、恭介はうんざりしたような声を出した。
 来年はもう自分のことだけをしっかり考えても良さそうだ、と確信しつつ。
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Annotate:
 久々のジャス学でした。ハッピーエンド後なこともありかなり甘いノリでいってみましたが、やっぱりジャス学好きです。みんなかわいいなあ……
 この話のあと新学期、それが終わったら学年上がって九郎が入学してきて、燃えジャス展開な感じ。ドリキャス持ってないので燃えジャス二次創作を書くことは出来ないですが(ストーリー知りたくて攻略本買ってみたものの結局詳しくはわからなかったという……苦笑)、あなたのためなら死ねる!な雪女くのいちと頼れる危険なマッドサイエンティストとのスリープラトンなら、雹もあんなことにはならないんじゃないかな、と思います。
 ストーリー詳しくわかればやりたいんですけどね……燃えジャス二次創作。
 背景にある写真イラストの大きいフルカラー版はこちら(別窓開きます)。フリーではありませんのでご注意。
 そうそう、この雹の服は熱血青春日記の正月イベントで彼が着ているあれです。マニアックです。わかる人いますかね……? 実はいつものオレンジ軍服よりも好きだったりします。
 あ、雹の刀は忠実に描くと長過ぎてこのポーズ出来ないので、普通よりは長いくらい程度にしました。
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