No.026/ママのご褒美、パパの苦労
「そういうワケで、こっちに居る間はボクがシロノの面倒見るよ
《何のつもりだ、ヒソカ》

 にこやかに言った奇術師に、電話の向こうのA級首の首領は、低い声で呟いた。
《いきなり電話してきたと思えば……》
「一応、ひとこと連絡入れた方がいいかなあと思ってね、パパ
《……お前がパパとか言うな、鳥肌が立つ》
 珍しくも、気に食わない、という感情を露にしているクロロに、ヒソカは楽しそうに笑った。

「ボクだってよその家の教育方針をどうこう言う気なんか無いけどね、でもあれはあんまりにもシロノに向いてないんじゃない?」
《確かにあれのバカさ加減は俺も知っているが……》
「そういうことじゃなくてさ、嫌いな事を無理矢理やらせたって身にならないよ?」
《お前にまともな意見を言われる日が来るとはな》
「失礼だなあ。ボクは単に子供好きなんだよ
《……ロリコンだのネクロフィリアだの、あれも大概変態ばかりに好かれるものだ》
 ふう、とため息をつくクロロだが、ヒソカのいう事がおおいに一理ある、ということもわかっていた。

 念能力とは、個人の得意分野や精神状態・人生経験などが大きく関わってくるもの。好きこそものの上手なれ、という格言がおおいに生きる世界だからこそ、自分の不得意分野を無理矢理想像の糧にしようとするのは、あまり身になる行為ではない。仮にその不得意なものを身につけたとしても、嫌々出来るようになったスキルが強力な“発”に昇華する確率は低いからだ。
 それに、乾いたスポンジが水を吸うようにすべからく全てを吸収するだろうこの時期、何を経験するかは本当に重要だ。一番最初に吸ってしまった水の色は、後でどれだけ他のものを吸い込んでも、そうそう消えるものではない。

「ボクの能力も、子供の頃好きだったものが元になってる 大事な時期なんだから、伸び伸びやらせた方がいいと思うなあ」
《……ゆとり教育は俺の方針じゃないんだが》
 クロロは、もう一度ため息をついた。
《まあ、いい。なにごとも経験だ》
「そうそう、塾にでも預けたと思ってよ ちゃんと預かるからさ」
 お前が塾の先生という柄か、とクロロが突っ込もうとしたその時だった。

《もしもーし?! はじめましてー、ヒソカくんだっけ?》
「……どちら様かな?」

 突然響いた女の声に、ヒソカは受話器を耳に詰めたまま、首を傾げた。
シロノの母のアケミで〜す》
「へえ、じゃあクロロの奥さ」
《ウフフフフ、それどこの世紀末ジョーク?》
 妙なオーラが篭った声だった。
「あれ、違うのかい?」
《ちょっと事情が複雑でね。 ま、そんなことはどうでもいいのよ。ウチの子がお世話になるみたいだから、ひとこと挨拶したくて》
「それはそれは、ご丁寧に
《おいアケミ、お前いきなり》
《クロちゃんたら、お世話になるのにお礼の一つも言えないわけ!? 挨拶が出来ない人間は犯罪者だろうと神父だろうと問答無用で最低よ、覚えときなさい》
 息継ぎ無しでまくしたてるアケミに、クロロは反論しなかった。その沈黙に諦めが含まれている事が受話器越しでもわかり、ヒソカは僅かながらも驚愕した。

《アタシもね、厳しいのも必要だとは思うけど、たまには褒めて伸ばすっていうのもアリだと思うの。ヒーくんどう思う?》

 いつの間にか、勝手な呼び名がついている。まるで十年前からそう呼んでいるようなナチュラルな強引さに、ヒソカは、アケミが正真正銘シロノの血の繋がった母である事を確信した。
「どう思う、というと?」
《ほら、例えば能力を考えられたらご褒美、とか、そういうのってアリかしら?》
「いいんじゃないかい? やる気も出るだろうし、ボクはいいと思うけど」
《そう? そうよね! じゃあ何か考えなくっちゃ!》
 アケミが弾んだ声を出した。

《──じゃ、面倒かけるけど、ウチの子をよろしくね、ヒーくん》
 無茶はしすぎないように、ヒソカの言う事はよく聞くように言って聞かせろ、あの子はあれは好きだがあれは嫌いだ、など、子供の母親はとても母親らしい事をほぼ一方的に喋り倒すと、最後に言った。

「了解 ……ああ、シロノには代わらなくていいのかい?」
《……ええ、いいの。約束だから》
 押し殺すような声で言ったアケミに、ヒソカは「そう?」と首を傾げつつも、そのまま電話を切った。



「ヒーちゃーん、パパ何てー?」
「ん? ちゃんと許可貰ったよ
 天丼の汁まみれになった口周りをトイレで洗ってきたシロノに、ヒソカは振り向いて言った。

「キミのママとも挨拶したよ。元気なママだねえ」
「──ママ?」

 シロノの透明な目が、驚いた猫のようにまん丸くなる。
「……ヒーちゃん、ママと喋ったの?」
「話したよ キミをよろしくってさ」
「そ、か」
 そう言って、俯く。どこか様子のおかしいシロノを、ヒソカは奇妙に思いながら、更に言った。
「そうそう、ちゃんと能力を開発できたら、ママがご褒美を用意してるってさ」
「へ?」
 シロノは更に目をまん丸くして、ヒソカを見上げた。
「ごほうび?」
「そう、どんなご褒美かはボクも聞いてないけどね ……やる気が出たかい?」
 尋ねると、シロノはほっぺたを少し赤くして、こくこくと頷く。どうやら本気でやる気が出たらしい子供にヒソカは変わらない笑みのまま「それはよかった」と言い、歩き出した。

「じゃ、行こうか
「どこに?」
「映画館
 思いがけない行き先に、シロノは首を傾げる。すると、ヒソカは言った。
「本はダメでも、映画は好きだろ?」
「うん。なんで知ってるの?」
 ヒソカの言う通り、シロノは映画やテレビは好きだ。文字を読むのは大嫌いだが、物語を知る事が嫌いなわけではないのだ。だがなぜそれを知っているのだ、と尋ねると、彼は言った。
「さっきキミのママに教えてもらったんだよ。さすが母親だねえ、子供の事はよく知ってる
 シロノはそれを聞いて、きょとんとしたあと、へらりと嬉しそうに笑った。
「天空闘技場は娯楽施設でもあるからね。下の方の一般向けフロアには、ゲームセンターや映画館なんかも沢山入ってる
「へー」
 ここに来てからというもの、毎日フェイタンによる超スパルタ修行を受けていたシロノは、この天空闘技場の事をあまり知らない。しかし、暇潰しの名目で何度もここへ来ているヒソカは、この場所をかなり熟知しているようだ。

「何観るの?」
「そうだね、パパの心遣いを無駄にするのも何だから、あれにしようか
 奇術師の長細い指が示した先にあるのは、上映時間とともに壁に張り出されたフライヤーだ。
「キミが持ってる世界名作全集の中のひとつを映画化したやつだよ あれならキミも内容がわかるから、それで感想文を書けばクロロも納得するんじゃないかい?」
 ヒソカの提案に、シロノは、おお、と感嘆の声を上げた。
「ヒーちゃんって意外に頼りになるよね!」
「……キミも大概ボクに失礼だよね
 母親似らしいが、父親の影響もしっかり受けている子供に、ヒソカはぼそりと呟いた。






「お前は本気で男を見る目がない」
 ヒソカからの電話を切ったあと、ソファに深く腰掛けたクロロは言った。
「何よー、良い子じゃないヒーくん」
「そういう風だから滅多刺しにされて死んだりするんだ、馬鹿」
「……そうやって人の最大のトラウマを気軽にほじくり返すあたりが外道よね、アンタって」
 アケミが目を据わらせた。

「まーまー、落ち着いて」
「だってシャルくん、このデリカシーのなさは問題でしょ! あの子が影響受けたらどうするのよ、教育上よくないわ!」
「まーまーまー」
 喚くアケミを、シャルナークが諌める。
 実は、シロノがフェイタンに鍛えられている間、アケミもまた、己を具現化する為の念の修行に明け暮れていた。おかげでアケミは少ない時間限定とはいえ己を具現化し、旅団員たちと普通に会話を交わせるようになっていた。
「それに俺も、ヒソカが良い奴ってのはおおいにアレだと思うなー」
「あらー、そんなにヤバい子なの?」
「やばいもなにも、旅団きってのド変態だよ。何でもイケるし」
「ふーん」
「ふーんって」
 あんなに溺愛している娘がそんなド変態と二人っきりで心配じゃないのか、とシャルナークが首を傾げると、アケミは言った。
「あの子が懐いてるってことはその変態ぶりを向けられてないってことよ。なら別にいいわ」
「そーゆーもん?」
「そーよ」
 実にシンプルな答えに、シャルナークはとりあえず納得し、いじっていた携帯を仕舞った。

「にしても、ダメだよ団長、自分の子供の好みやニーズは正確に把握しとかないと」
「そーよねー。クロちゃんたら、どうせ自分がシロノぐらいの頃は本ばっかり読んでた、とかそういうので、ああいう宿題にしたに決まってるのよ。ただ罰だってんならそれもわかるけど、何百年も文字離れしてるロマシャの子供が本好きなわけないじゃないねえ」
「……うるさいな」
 しかし内容に反論しないあたり、図星であったらしい。

 計算し尽くされた教育プランを練っているらしいクロロも、「自分が好きだったから」という安直な理由で子供に問答無用でそれを押し付けるあたり、そこいらによくいる、子供の好みをいまいち把握せずに身勝手な贈り物を与える父親のパターンにしっかりはまっているのが何やら笑える所だ。
 クロロは今現在でも筋金入りの真性活字中毒者、読書狂のビブリオ・マニアだが、シロノと同じく物心つく前から精孔が開いていたという彼の念能力が『本』であるあたりからして、その趣味趣向は幼少期からのものだろう可能性は高い。
 しかし、アケミの言う通り、文字という媒体を使わずに何もかもを伝えてきたロマシャは、総じて文字に疎い。それは(1)ディスレクシア、失読症、難読症、識字障害、読字障害などと診断しても良いレベルであることも珍しくないらしい。
 こうした症状のはっきりした原因はまだ突き止められていないが、家族性の発症例も多い事から、遺伝マーカーの可能性も深く示唆されている。もしそうなら、ロマシャの場合、何百年もそうして文字に親しまずにきたのだから、その性質が既に遺伝子に組み込まれていても何らおかしくはないだろう。おまけに、シロノの実の母であるアケミも、文字を読む事はかなり不得手な方であるらしかった。

「あの子もかなり字はダメみたいね。もっと小さい時だって、ほら、パクちゃんが買ってきてくれた絵本も、自分で読むより読み聞かせの方をねだってたでしょ?」
「あー、そういえば」
 シャルナークが、納得して頷く。彼もまた、自分が暗記してしまうぐらい絵本の読み聞かせをさせられたひとりである。

「さて、ご褒美は何がいいかしら!?」

 久々に娘に構えるのが嬉しいのだろう、アケミはかなりうきうきしている。
「ぬいぐるみなんかどう? パクちゃんに見せて貰った雑誌にあったのが可愛くて。でも買ったのじゃ味気ないから、マチちゃんと相談して、手作りがいいわ。身体の具現化も出来るようになってきたし、その時間で結構いいもの作れると思うのよね〜」
「……アケミ」
 はしゃぐアケミに、クロロがため息をつきながら言った。
「そんな事にかまけていないで、修行を進めろ。時間が惜しい」
「──は?」
 冷静な一言に、アケミが剣呑な声で振り返った。その表情は険しい。

「……そんなこと? そんな事ですって? アンタあの子の為のご褒美をこんな事ってちょっと、ウフフそんなにハゲたいのかしらこの野郎」
「うん落ち着こう。ちょっと落ち着こうアケミ」
 悪霊さながらの冷たいオーラを足下から立ち上らせ始めたアケミを、シャルナークが引きつった笑顔で諌める。そんな様子に、クロロが短くため息をついた。
「……だから、その『ごほうび』を用意する為に修行しろと言ってるんだ」
「はい?」
 発された台詞に、アケミだけでなく、シャルナークもまた目を丸くする。意味がわからず惚けている彼らに、クロロは言った。
「あれが大人になったら会う、と“約束”しただろう。まさか忘れたのか?」
「……って」
 アケミが、驚愕に目を見開いた。
「でも、大人になったら、って」
蜘蛛うちで言う“大人”が、実年齢をどうこういうものなわけがないだろう。うちは実力主義だ。“一人前”な実力があればそれと見なす」
 そして、念能力者として一人前と言えるのは、やはり確固たる能力を得た時だ、とクロロは言い、そして、ちらり、とアケミを見た。やや半透明な彼女の指先は震えている。

「それに、お前にもう一度会える事以上に、あれが喜ぶ事などないと思うが?」
「──クロちゃん!」

 がばあ、と、アケミがクロロに抱きついた。形は取り繕っているがまだまだ完成には至っていない具現化による身体の感触は奇妙で、ひんやりと冷たく、そして質量が感じられずに羽根のように軽い。
「んもう! アンタって超時々ごくまれに惚れそうなほどいい男ねクロちゃん!」
「超時々ごくまれに、は余計だ」
 ぼそりとクロロが呟くが、アケミはまったく気にしていない。
「そうね、あの子が能力を完成させたのにママのアタシが何も出来てないんじゃ格好悪いものね! よーしアタシってば頑張っちゃうわよ! 死ぬ気で! あっもう死んでるけど!」
「うわーテンション高ぁー」
 気分がオーラに表れているからだろうか、やたらキラキラしだしたアケミに、シャルナークが生暖かい声で言った。
 そして「インスピレーションを得る為」という名目でアケミがクロロの資料室に行ってしまったあと、嵐の去ったようなそこで、クロロがにやりと笑った。

「ああ、やっと静かになった」
「え、それが目的?」
 シャルナークが振り返ると、クロロはもちろんだ、とゆったり頷いた。
「あれが能力を編み出したところで実力的には俺たちにまるで適わんのに、何が一人前だか」
「ま、確かにそうだけどね。でもシロは“蜘蛛”じゃなくて“子蜘蛛”なんだから、あくまで“子蜘蛛”としてなら、一人前、とみていいんじゃない?」
「……馬鹿言え。子蜘蛛は子蜘蛛だ。一人前など遠い」
 頑として認めようとしないクロロに、シャルナークは呆れつつも込み上がってくる笑いを堪えた。

 シロノを側に置いてから、クロロという人間が変わった、という事はない。
 相変わらず女子供問わず殺すし、盗みの手段は問わないし、むしろ子供と生活していながらそれが変わらないあたり、尚の事ロクデナシな部分が浮き彫りになったと取ってもいいかもしれない。
 しかし、変わってはいないが、今までなかった所が確実にプラスされている、とシャルナークは思う。アケミはかつて、娘を幼いままずっと側に置きたくて、子供の成長をリセットし、自分たちの時間を止めた。
 シャルナークには想像しか出来ないことだが、あれは親としての一般的な感情を極端な形にしたものだろう。そしてまた、シロノが一人前になりつつある事を「まだまだだ」と頑に言い張るクロロにもまた、その“親としての一般的な感情”の片鱗が見えるような気がするのは、気のせいだろうか。
 それに、「自分が好きだから」「自分が子供の頃そうだったから」という理由で物や課題を与えるというのもそうだが、洞察力にかけて右に出る者などいないはずのクロロが、何年もシロノが文字を読めない事に気付かなかったのは何故か。

(“筋金入りの本好きな自分の娘が、まさか字が読めないとは思わなかった”……ってこと?)

 もしそうだとしたら、親意外の何ものでもない心理である。推測でしかないし実際どうなのか聞く気もないが、とりあえず、それ以外の理由はシャルナークには考えつかなかった。

「……何をにやにやしてるんだ? シャル」
「いやあ、一時はどうなることかと思ったけど、団長も結構ちゃんとオトーサンしてるよねー、と思って」
「は? 何を気色悪い事を……」
「べーつにー」
 にやにやと笑いながら再度携帯を弄り始めたシャルナークに、クロロは僅かに眉を顰める。
「まさか俺が本気で“ご褒美”を用意してやったと思ってるんじゃないだろうな」
「いや別に思ってないけど」
 ていうかどうでもいいけど、とシャルナークは思ったが、余計な事は言わずにおいた。

「いいか、毎日毎日毎晩毎晩、金縛りをかけられ枕元で強制的に娘への想いを語られるんだぞ。俺だっていい加減安眠したいんだ」
「……ご苦労様です」
 そんな目に遭っていたのか、と、シャルナークは本気で同情した。
「しかしそれももう少しの辛抱だ。アケミの具現化と能力開発が終われば、俺も金縛りと寝不足から解放される」
「あーナルホド。そのために二人でお互いを“能力を開発すれば会える”ってご褒美で釣ってハッパかけたわけね」
「そうだ。相乗効果、一石二鳥だろう?」
 にやり、と笑うクロロの表情には、清々しいものが混ざっていた。よほど毎晩の金縛りが辛かったらしい。
「俺がいつまでもアケミの言うままになっていると思ったら大間違い──」
「クーローちゃん! ちょっとこれ読んでー!」
 クロロの言葉を遮って、アケミの声がホームに響いた。

「ちょっとー、アタシ字ダメなんだってば! こっち来て読んで! 早く!」
 急かす声に、クロロは座って広げた膝に肘をつき、その片手で顔を覆って俯いた。シャルナークが、とても生暖かい笑みをクロロに送る。
「ご指名だよ団長」
「……あー」
「行かないとハゲるかもよ?」
 その言葉に、ぴくり、とクロロの肩が動き、そして盛大な溜め息が彼の口から漏れた。
「お前も手伝え。団長命令だ」
「えー? まあいいけど……」
 シロノが来てから、職権乱用がひどくもなっている。しかしげんなりとしたクロロに同情したシャルナークは、彼の肩にポンと手を置いた。

「オトーサンは大変だねえ」
「……うるさい」
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Annotate:
(1)『ディスレクシア』:学習障害の一種。失読症、難読症、識字障害、読字障害とも。知的能力及び一般的な学習能力の脳内プロセスに特に異常が無いにも拘らず、書かれた文字を読むことが出来ない、読めてもその意味がわからない(文字と意味両方ともそれぞれ単独には理解できていることに注意)、などの症状。幼少期に見られるのが殆どだが、大人になっても症状が改善しない場合も珍しくはない。
 英語圏に特に多く、トム・クルーズがディスレクシアであることを告白してからよく知られるようになった。ディスレクシアの著名人は結構多い。
BY 餡子郎
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