さやかの空に願う
 歴代の校長の肖像が飾られた、校長室。盟約により過去の校長たちは、当代の校長に仕えることとなっており、彼らに認められなければこの部屋への侵入は何人たりとも許されない。
 彼らに認められた、ホグワーツ魔法魔術学校の現校長、アルバス・ダンブルドアは長く白い髭を撫で、満足そうに頷いた。

 手には、入学許可証。様々な魔法道具がただ置かれているだけの部屋は、間違って入室してしまった生徒から見たら物置と間違えこそすれ、校長室だなんて信じられないような部屋だ。つまり、ごちゃごちゃとした印象を受ける。
 あらゆる魔法の道具の中で、目をひくのは机から零れ落ちるほどの白い山を作っている手紙だ。それらはすべて入学許可証で、先日までは日本人生徒らが入学許可証を送り返してくる、という前代未聞の珍事件もあったが、ようやく新しい入学生たち全員から色よい返事をもらえたのである。

 一時はどうなることかと思ったが、日本人の彼ら全員が入学してくれる運びとなり、胸を撫で下ろしたのはついこの間のこと。最後の一人からの返事が待てど暮らせど全く来ず、ありとあらゆる手段を講じたのだが、その結果、やりすぎだと魔法省からお叱りを受けた。ダンブルドアにとっては初めての経験だった。
 ほっほ、と笑いながらダンブルドアは一通の手紙を取り出す。マグルの文房具店で購入したであろう、事務用の手紙と封筒だ。英字からでも几帳面さが伝わるような字体だった。一番下の段には――――手塚国光、と記されている。
 最後の少年、手塚国光には骨が折れたな、とタンブルドアは苦笑する。ハリー・ポッターの件は、最初から予想していた展開だったので、たいしたことはなかったのだが、この少年は全くもって予想外であった。

 というのも、マグルの世界で怪奇現象として騒がれるとは、さすがのダンブルドアでさえ想像もしていなかった。
 ハリー・ポッターの元へ何百羽ものフクロウを飛ばした時はなんら問題にもならなかったので、大丈夫だろうと高を括っていたからだ。まさか、あれほどマグルのマスコミに騒がれるなんて。
 そして信じがたいのは、手塚とその家族は、ポカーンとフクロウたちを眺めているだけだったという。さらに、聞いたところによれば、彼の祖父は日本警察に相談していたそうだし、彼の母親はいつでもマスコミのインタビューに答えられるように、と綺麗な洋服を購入していたという。本当に信じがたい。
 イギリス魔法省は、マグルと魔法族を明確に区別したがる性質であるため、日本という異国であってもマグルに騒がれたという事実に――――特に魔法大臣は――――卒倒しかけた。

「これで、全員が揃いましたね」
 奥の部屋で、新入生の顔と名前を照合していたマクゴナガルがやって来た。
 魔法省から呼び出しを食らって「お叱り」を受けている間、ダンブルドアに代わって学校内のことを取り仕切ってくれた彼女は、どことなく疲労の色が浮かんでいる。大変、申し訳ないことをしてしまったようだ。

「後は新入生たちの入学を待つばかりですよ、アルバス」
「今回ばかりは間に合わないところじゃった」

 ほっほ、と言って笑うダンブルドアに、マクゴナガルは小さく息を吐きだした。ダンブルドアが言った通り、本当に今回は間にあわないかもしれなかった。
 日本人留学生のための新たなテニスコートの整備と、留学生の監督者として推薦された榊太郎との交渉はスムーズに進んだのだが、日本人留学生からの返事待ちが思っていたよりも時間がかかった。
 忘れてはいたが、日本とイギリスという国すら違う場所にフクロウを飛ばすのは、フクロウ自身の負担が大きすぎた。しかも、日本は例年稀に見る猛暑。異常な暑さにフクロウが耐えられなかったのである。
 そのため、魔法省日本支部経由で彼らからのYESの返事を受け取ったのが、昨日であった。新入生のリストを確定するかどうかギリギリまで待っていたので、今日一日はバタバタとしてしまったのだった。

 ――――だが、終わってみればこの疲労もなんだか充足感でいっぱいである。

 日本というマクゴナガルにとっては未知の国。
 マグルと魔法族との区別が曖昧で、しかし争いもなく上手く円満に生活に溶け込んでいるという、イギリス魔法界の常識からすれば、常識外れも常識外れな異世界と言ってもいい。そんな日本国から学ぶべきことは山ほどある、というダンブルドアの姿勢により、日本人留学生の受け入れが試みられた。
 突拍子もないことをするのはダンブルドアらしいが、姿勢としては素晴らしいため、マクゴナガル以外の教授陣も概ね賛成であり、新学期を前にして一部の教師は浮き足立っている。
 保守的なのがイギリス魔法界であるが、総じて新しいことに対して興味がないわけでは決してないのである。

「日本人留学生はこの子たちじゃな、ミネルバ」
「ええ、アルバス」

 そうしてダンブルドアの杖によって呼び寄せられた数枚の入学許可証から、彼らの名前だけが宙に浮かび上がった。
 「ケイゴ・アトベ」、「サダハル・イヌイ」、「コウメ・ウエスギ」、「ゲンイチロウ・サナダ」、「クラノスケ・シライシ」、「キヨスミ・センゴク」、「クニミツ・テヅカ」、「シュウスケ・フジ」、「レンジ・ヤナギ」、「セイイチ・ユキムラ」。聞き覚えがある苗字については、マクゴナガルが驚愕から目を見開かせた。
 特に、「アトベ」といえば、マルフォイ家・ブラック家と並ぶ名家中の名家ではないか!

 他の子供たちの中でも一度は耳にしたことがある苗字だったものだから、マクゴナガルは「なんと、まあ」と洩らした。
 そして、最後の一人の名前が浮かび上がる。

「フジ、ミヤ……? アルバス、もしや、フジミヤとは」
「うむ、そうじゃ。“あの”フジミヤ家の子供じゃ。そして、我々が良く知る“彼”の一人娘」

 「ソウイチロウ・フジミヤの忘れ形見でもある」と続けたダンブルドアに、マクゴナガルはくしゃりと表情を歪めた。痛ましげな面持ちで、最後の一人の名前のスペルを撫でる。金色に浮かぶ名前が、震えた気がした。

「マサムネ・フジミヤは、とても大人しい少年だったのう」
 「いつもジェームスにからかわれて、見かける度に半泣きじゃったよ」と、ダンブルドアは笑いながら言った。
「……ええ。ですが、とても勇敢でした」
「さよう。まさしくグリフィンドールに相応しい少年だったと言える」
 二人の記憶でへにゃりと笑う少年――――藤宮正宗。心優しい教え子を思い浮かべ、マクゴナガルは目尻に涙を浮かべる。とても温和な性格で、ハッフルパフがお似合いとスリザリン生から馬鹿にされることが多かった生徒だったが、彼ほどにグリフィンドール寮に相応しい生徒を、二人は知らない。

「……すみません、アルバス」
「いいや、気にすることはない。いまでも、マサムネの最後の姿が忘れられんのじゃよ」

 ゆったりと椅子に背を預けた後に、テーブルに肘を突き、祈るように手を組み合わせ、ダンブルドアは深い溜息を洩らした。
 我々は、大切なものを失い過ぎた――――そう、悔悟して。

「大人しく、泣き虫な少年じゃったが、最期の時だけは泣かなかったそうじゃ。いや、泣けなかったのやもしれんの……。彼と最後に会った時、彼は目を真っ赤に腫らせて言っておったよ」

 ――――僕の娘を、お願いします。
 ぼろぼろ、ぼろぼろ、泣きながら。泣きながら、笑って彼は言った。

「陰陽師の視る夢には、意味があるという。彼は自分が死ぬ未来を夢に視ておったそうじゃ。そして、自分の娘が、ホグワーツに入学するであろうことも。そうして、彼は儂に頭を下げに来たよ。親として出来ることはもうこれしかないから、と」
 ゆるりと頭を振り、ダンブルドアは静かに続けた。「そして、その一週間後に亡くなってしまった」溜息のように吐き出された言葉に、ぎゅ、っとマクゴナガルは両目を瞑った。
 グリフィンドールの生徒であり、マクゴナガルにとっては手のかからない大人しく、心優しい少年だった。自寮の生徒だけではなく、他寮の生徒にも分け隔てなく接し、誰に対しても公平で、誠実だった教え子。
 嗚呼、なんて。なんて非情なのだろう、と天を仰ぐ。

「死ぬことをわかりながら、彼は……」
「さよう。最後まで、逃げなかった。最期の最後まで」

 彼の死の真相を知るダンブルドアは、きっぱりと断言した。逃げないことがどれだけ困難であるか、闇の時代を知るマクゴナガルは、改めて藤宮正宗の「勇気」を垣間見、そして改めて彼がいかにグリフィンドールに相応しい生徒であったかを認識した。
 あの闇の時代に逃げ出さなかった者はほとんどいない。逆に、逃げ出さなかった者はみんな死ぬか、死と同じくらいの目に遭わされたのだ。
 ふと、脳裏にくしゃくしゃの黒髪にハシバミ色の瞳の少年と赤毛にエメラルドグリーンの少女が浮かんだ。――――二人の息子も、今年に入学する。名前は、ハリー・ポッター。

「魔法界の“英雄”と“日本の英雄”の子供が同時に入学するのですね」
「うむ。偶然ではなく、必然の運命のように思えてならん」

 悲哀から一転、厳しい面持ちとなったダンブルドアに、マクゴナガルも気を引き締めた。
 あのハリー・ポッターの入学。かつての闇の帝王が消えたとは言え、闇の勢力が完全に消失したわけではない。いつどこで何が起こるかはわからないのだ。

「これから、忙しくなる」
「ええ、わかっていますわ」
「すまんの」

 言葉にしなくても伝わるのは、二人の信頼関係の深さ。その長い付き合いに、ダンブルドアはようやく笑みを覗かせる。
 室内に温度が戻る頃、ダンブルドアの愛鳥でもある、不死鳥のフォークスが美しい夜空と共に舞い戻って来た。すっかり夜更けになってしまったの、と言って、ほっほと笑ったダンブルドアの肩にとまり、フォークスは美しく啼いた。

「ああ、そうじゃった」

 思い出したように、ダンブルドアが呟く。
 すっかり冷めきってしまった紅茶を淹れなおしながら、視線だけをマクゴナガルが寄越す。

「彼の、マサムネの娘はさやかのような子供じゃそうな」
「サヤカ?」
「さえて明るい、という意味の日本語じゃよ。名付け親はマサムネではなかったがのう」


 七夕の夜空のように、朝日を切り取るように。そんな子供になりますように。
 願いを込められた名前を持つ、さやかのような娘の名は――――藤宮紫乃
 きっと、彼と同じように心優しい少女だろうと思う。会っていなくとも、二人にはわかった。




 予言されし少年と、同じ年齢で入学してくる日本の子供たち。
 ――――まだ見ぬ彼らを、心から待っている。

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